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全労連議長あいさつ

                 議 長 三 上  満

 全国からご参集の代議員、特別代議員、傍聴者の皆さん、たいへんご苦労さまです。  また、お忙しい中、激励にかけつけてくださった来賓の皆さん、メッセージを寄せてくださった友誼団体の皆さんに心から感謝を申し上げます。

 さて皆さん。私は、今定期大会が特別に重大な意義をもっていることをまず強調したいと思います。それは、労働運動がいま、新しい転機に立っているからであります。80年代の激動の中で、私たちはたたかうまともな労働運動を守りぬき、全労連を結成しました。一方、民間大経営の労資一体の労働組合や特定政党支持労組が合流して「連合」がつくられました。この7年間は、労働者・国民の利益を守ってたたかう全労連、資本と一体となって労働者の要求に背を向ける連合、その対比を日に日に鮮やかにさせつつ経過した歳月でした。そしていま、労働運動の現局面を大きく変える流れが始まっているのであります。その流れの方向が、全労連と、たたかうまともな労働運動の発展の方向であることは明白であり、切実な要求実現と教職員組合のまともな発展をめざして、宮城高教組が日教組からの離脱を決めたことはその一つの現われであります。さまざまなたたかいの中で、私たちは“打てば響く”情勢が広がっていることを実感してきました。いま、その情勢をしっかりとらえて、大きく打って出ることが求められているのであります。

 そうした転機をもたらしている要因は何でありましょうか。一つは、言うまでもなく、あらゆる層の労働者を襲う深刻な生活悪化、労働苦の広がりであります。その根本原因は、大競争時代に生きぬくためとして、あらゆるものに犠牲をおしつけておし進めてきた大企業のむちゃくちゃな低コスト化、多国籍企業化の策動であります。それは、生産拠点の海外移転、産業の空洞化と地域破壊、下請つぶし、リストラ・人減らし、賃下げ、出向・配転の強要など、たいへんな災厄を労働者・国民にもたらしました。その上に、近年とくに強められているのは賃金、雇用、労働条件における新手の攻撃です。年功賃金、終身雇用といった、ともかくも労働者に一定の安心感を与えていた労使関係が突き崩され、その一方で業績給、能力給、能力主義的労務管理が強化され、すでにマイナス査定(減給)を含む業績給も現れています。低コスト化のテコとして、パート化・不安定雇用の拡大も深刻です。労働省がおし進めようとしている労働法制全面改悪は、財界・日経連のこうした攻撃と一体のものであります。

 このような状況がもたらす、くらしや雇用、将来の不安の中で、多くの労働者が企業依存の意識から離れ、自分たちのくらしを守るよりたしかな拠り所を切実に求めるようになっているのであります。

 転機の要因となっているもう一つの問題は、連合への強烈な不満・批判の高まりであります。96春闘では、自ら要求を引き下げ、早々と幕引きを策しました。労働組合の原点を捨てて、人減らしや賃金体系改悪などの推進者となっているところも珍しくありません。さらに、連合はいまや国民のくらしを直撃するあらゆる悪政の推進力の一つともなっています。連合単産の中には自民党支持、自民党との協調も特異なことではなくなり、権力と癒着することに拠り所を求めていると言っても過言ではありません。こうした中で、いま連合労組内に大きな変化が起きつつあります。その一つは、連合労組への批判が大きな流れとなって現れ始めているということです。会社側提案をのむ組合案に多数の反対票が投じられる、大企業内で不屈にたたかう自覚的労働者への共感と支持が広がる、門前ビラがどんどん入る、こういったことがいたるところで起きています。

 二つ目には、特定政党支持強要体制の矛盾の深まりです。民社党はなくなり、社会党も社民党となって自民党と一体化してしまいました。特定政党支持は、もはや自民党政治支持強要以外のものではなくなってしまいました。自民党政治の押しつけを組合員が承服するわけはありません。その結果、連合内では「政党支持無し層」が最大となっています。これは見方を変えれば、特定政党支持のしめつけからの脱却が進んでいるということであります。

 その一方で、労働者の政治そのものへの関心は、住専、消費税、安保・沖縄の問題などをめぐって高まっています。職場の中には「政治が屈託なくしゃべれる状況」が広がっています。職場の労働者は、自分たちの利害を守る労働組合なのか、まともな政治を求めているのか、この二つの面から連合への批判を高めているのであります。

 転機の第三の要因は、言うまでもなく、転機を促進する軸となる潮流が存在し、しだいに大きく、広範な労働者に見えるものとなっていることであります。「打てば響く」ということは、とりも直さず「打ち手」がいるということであり、それは言うまでもなく全労連であり、全労連と共同する労働組合の潮流であります。

 この7年の歴史は、全労連の歩みが、発展の方向に立った歩みであったことをはっきりと示しています。職場の労働者の切実な要求を掲げるたたかいにおいても、関電の最高裁判決や丸子警報器判決に実を結んだような差別や権利侵害とのたたかいにおいても、悪政と立ち向かいくらしを守る国民的共同のたたかいにおいても、平和・民主主義、政治革新のたたかいにおいても、全労連はその持てる力を発揮して、文字通り獅子奮迅の活動をしてきました。それは、権力の反全労連シフト、資本からの反共攻撃、意図的なマスコミの排除姿勢などの包囲網の中で、困難をきわめた歩みでありました。しかし、その時々、一つひとつの前進は小さくとも、7年の蓄積において見るならば、組織においても、運動においても、広範な労働者・国民からの信頼においても、あるいは影響力という点においても大きな前進を遂げてきたことはまちがいありません。

 とりわけ、昨年の大会で基調に据えた、あらゆる労働者・労働組合との総対話と共同の方針は、生きた方針として組織をあげて実践され、全労連の影響力を大きく広げました。

 転機の中の変化は、まだ端緒についたばかりであります。しかしそれは、やがて大きな流れになる変化の始まりであることは疑いを入れません。その流れを風としてしっかりつかみ、大胆に乗り出していこうではありませんか。

 本大会では、そうした情勢にふさわしい方針として、いくつかの新しい提起をしています。一つは、この秋、春闘解体攻撃をはね返す足場を築くための大規模な総対話・要求アンケート活動であります。もう一つは、単産とともに地方・地域の活動を抜本的に強化するための12月に予定する全国討論集会の開催であります。これらの方針についても、討論の中で豊かにしてほしいと考えます。

 皆さん。もう一つ注目すべきことは、こうした労働運動における新しい転機が、国民全体の政治意識の変化、政治の転換への胎動と軌を一にしているということであります。この3年余の目に余る公約違反、悪政の数々、それを推進してきたオール与党への怒りはまさに国中に充満しています。その中で、多くの国民が政治に不信をもち、各種選挙で投票率は軒並み下り、政党支持なし層が激増しました。しかし、その状況にいま新しい変化が兆し始めているのであります。それは、多くの国民がまともな政治への模索と選択に乗り出し始めたということであります。京都、大阪・大東、沖縄、東京・狛江などでの選挙結果は明らかにその現われであります。

 くらしや地域、平和や民主主義を守る運動においても、これまでの経験ではおしはかれない大きな変化が現れ、切実な問題での保守勢力を含めた広範な共同が進んでいるということであります。それは、消費税、住専、介護保障確立、寒冷地手当、さらにフランス・中国核実験、沖縄問題・米軍基地移転問題、阪神被災者への個人補償実現、HIV問題、農業・食糧問題、学習指導要領見直しなどあらゆる問題で起きています。こうした運動の発展の結果として、悪政に反対する自治体決議がこれほど多く、党派を越えてあげられたこともかつてなかったことです。まさに、悪政推進勢力と、横暴・身勝手をほしいままにする大企業への国民的包囲が広がっているということであります。とくに、大田知事を先頭にした沖縄県民の団結と共同のたたかいは、全国の先駆となって国民を激励しています。

 その中で注目すべきことは、これまで常に革新分断、たたかい抑圧のイデオロギー的支柱となってきた反共主義がしだいに通用しなくなりつつあるということであります。それは決して政党レベルの問題でなく、民主主義と国民のたたかいの前進にとって重大なことであります。

 こういう流れをしっかりとらえて、全労連としても、連合労組も含む中央、地方・地域での共同行動の発展に全力をつくさなければなりません。とくにこの秋、97国民春闘勝利への大規模アンケート、消費税引き上げ反対、臨調行革・自治体リストラ反対、国鉄闘争勝利、国民合意の介護保障制度確立、医療・福祉の改悪、社会保障改悪反対、沖縄県民連帯、安保・基地闘争などに全力でとりくまなければなりません。そうしたたたかいの中で、国政上の対決点を鮮明に引き出し、争点そらし、争点隠しを許さず、政治的高揚の中で国会解散を勝ち取り、総選挙を迎えうとうではありませんか。

 もう一言つけ加えたいのは、労働運動の中での学習の重要性であります。財界はいま、春闘解体を足場に、賃金・労働条件決定のあり方の根本的再検討を打ち出しています。それは、労働者が組合に結集して集団的に交渉・決定するという、資本主義社会の中のたたかいの歴史が築いてきたきわめてあたりまえの労使関係の否定であります。日経連は、個々の労働者と、企業貢献度・業績に応じて交渉して決める労使関係こそ「人間尊重、個性尊重」だなどと言い出しているのであります。それは、労働組合の存在そのものへの根本的否定であります。このような労働組合否定は、労働者をバラバラにし、資本の搾取の餌食にさらすものであり、労働組合はその存在をかけてたたかわなければなりません。労使の階級的利害対立、団結してたたかって勝ちとる以外に労働者のくらしをよくする法則は存在しないということは厳然たる事実であり、今日の社会の無数の事実がそれを証明しています。それは、「産業構造の変化」などで消え去るものではありません。

 私は、財界が手をかえ品をかえてくり出すこうした攻撃に立ち向かう学習と理論が、労働者に、とりわけ労働組合幹部に今こそ必要だと考えます。全国討論集会の中で、あるいは春闘準備の中で、そうした自覚的な学習の大運動が具体化されることを切望するものです。

 最後に、やや個人的感慨にわたることをお許しください。今年はご承知の通り、宮沢賢治生誕百年であります。賢治は貧しい東北農村にあって、人々の幸せを願い、働くものへの愛と尊敬をもち続けて生きました。しかし、賢治はしばしば、そうした願いや努力をおし潰す現実にぶつかったのです。最晩年に経験した大不況と“豊作飢饉”はその最大のものでした。「このまっくらな巨きなものを、おれはどうにも動かせない」。賢治はその苦悩をこう詩 の中に書きました。賢治はそうした社会を変革する勢力がはっきり見えない時代に、みんなの幸せへの激しい願望と、その展望がつかめない苦悩を背負って生き、37歳の生涯を、戦争に突き進んでいく「まっくらな」日本を見ながら去ったのです。

 いま私たちは、その「まっくらな巨きなもの」の正体をはっきりつかみ、それを変革する一大勢力を形成してたたかっています。賢治生誕百年にあたって、そうした歴史の大きな前進をつかみとることも無駄ではないように思います。

 憲法50年の今年を、人間らしく生き、働ける21世紀、日米共同宣言の道を許さず、核兵器も基地も軍事同盟もない日本と世界へ向けての足場を築く年にするために、全力で奮闘することをよびかけて、あいさつといたします。