2021年5月31日
全国労働組合総連合(全労連)
はじめに
最低賃金引上げへの3つの視点
東京五輪開催を控えて、今年は5月26日から中央最低賃金審議会での議論に続いて地方でも最低賃金の改定について議論が行われる。
全労連は、中央最低賃金審議会に対して、コロナ禍のもとでいっそう広がる貧困と格差の是正、地域経済の再生のために、最低賃金を1500円に引き上げ、全国一律最低賃金制度の実現に向けた格差の是正を行うよう決断を求める。
強調したいことの第一は、感染拡大を防ぐため活躍しているエッセンシャル・ワークの労働現場の多くを支えているのは、低賃金・不安定雇用の非正規雇用労働者についてである。例えば、スーパーなど小売業で働く労働者の22.2%・約130万人が最低賃金×1.15未満の低賃金で働いている。これらの人々と日本経済を守るためには最低賃金を引き上げることが必要である。不安定な雇用による失業への恐怖と、蓄えがない世帯への収入の道が断たれること、さらに自らも感染しかねない恐怖とのたたかいとなっている。労働者の雇用と生活を守る企業責任は、中小零細企業であっても決して曖昧にすることはできない。雇用維持と8時間働けば「ふつう」に暮らせる賃金の支払が必要である。
第二は、コロナ禍の経済悪化からの復興は、一定長期とならざるをえない。それだけに、一時的な手当だけでなく、すべての労働者・国民の生活が持続可能となる手立てが求められる。それが、最低賃金の改善による賃金格差の是正と、底上げによる地域循環型経済を確立することである。
第三は、欧米ではコロナ後の経済回復を見据えて最低賃金の引き上げを行っている。また、米国ではバイデン大統領が連邦政府と契約する企業の最低賃金を時給10.95ドル(約1194円)から15ドル(約1635円)に引き上げる大統領令に署名した。
フランスでは、2021年1月に9.76ユーロ(約1288円)から10.03ユーロ(約1324円)に引き上げられた。ドイツでは、2021年1月に9.5ユーロ(約1254円)へ引き上げられ、さらに同年7月から9.6ユーロ、2022年1月に9.82ユーロ、同年7月に10.45ユーロ(約1379円)へ引き上げられる。イギリスでも、2021年4月から成人(25歳以上)の最低賃金が8.72ポンド(約1334円)から8.91ポンド(約1363円)に引き上げられた。(1ドル=109円、1ユーロ=132円、1ポンド=円153円換算)
日本では、多くの非正規雇用労働者が職を失い、最低賃金の据え置きによる賃金抑制が「経済復興」の足かせとなっている。その結果、国民の消費購買力が回復せず、深刻なデフレから抜け出せなくなっている。経済危機を乗り切るために、賃金を抑制する「誤り」を繰り返してはならない。
現行水準の維持か、引き上げか
昨年4月16日、日本商工会議所など中小企業3団体は「最低賃金に関する要望書」を発表し「現下の危機的な経済情勢を反映し、引上げの凍結も視野に、明確な根拠に基づく、納得感のある水準を決定すること」として最低賃金の引き上げに反対した。それを受けて、安倍前首相は、新型コロナ感染による経済悪化を理由に「雇用を守ることが最優先課題だ」として最低賃金の抑え込みを図り、加重平均で1円しか引き上げられなかった。また、今年も4月15日に日本商工会議所など中小企業3団体は「最低賃金に関する要望書」を発表し「足下の景況感や地域経済の状況、雇用動向を踏まえ、『現行水準を維持』すること」を求めている。
政府内においても最低賃金の引き上げに向けた議論が始まっている。5月12日には経済財政諮問会議の民間議員が連名で、本年度の最低賃金に関して3%を超える引き上げを求める提言をまとめた。経済財政運営の指針である「骨太方針」への反映を目指すという。
そもそも、昨年から続く新型コロナウイルス感染拡大と経済危機は、新自由主義によるアベノミクスが、労働者や中小企業を「儲け」の対象とし、大企業や株主の利益を優先する政策を行い、日本経済の基盤を衰弱させてきたことが原因となっている。今求められているのは、国内総生産の6割近くを占める個人消費の拡大を経済政策の基調とすることへの転換である。大企業優先・富裕層厚遇を根本的に改める経済への転換であり、そのためにも賃金の引き上げが求められている。雇用の安定を図り、最低賃金を引き上げ、非正規雇用労働者の労働条件の引き上げ、消費税の税率引き下げ、中小企業への大胆な財政支出などによって、経済の好循環で国民全体に広げることが、経済危機を回避し、持続的な経済発展への道である。
全労連は、中小企業の経営努力に報いてこの経済危機を乗り越えるためにも、最低賃金を引き上げとともに引き上げに必要な支援の強化を政府に求める。
以下、コロナ禍の経済悪化といまの最低賃金制度の問題点について、全労連としての見解を明らかにする。
1 最低賃金の引き上げで生存権を脅かす低賃金の改善を
エッセンシャル・ワーカーの多くが非正規雇用労働者
新型コロナウイルスの感染拡大のなか、補償制度が不十分なままで繰り返されてきた非常事態宣言による時短・休業要請によって、低賃金・非正規雇用労働者の雇用が脅かされ、収入が激減し、くらしを直撃している。
コロナウイルスの蔓延にあって、国民のくらしを支え続けるエッセンシャル・ワークの重要性が注目されているが、その労働現場では、多くを低賃金の非正規雇用労働者が支えており、不安定な雇用による失業への恐怖と、蓄えがない世帯への収入の道が断たれること、さらに自らも感染しかねない恐怖とのたたかいとなっている。その背景に、非正規雇用労働者の拡大、不安定雇用による将来不安、低賃金の蔓延による格差と貧困がかつてなく進行しているところに困難の根深さがある。
喫緊に求められるのは、コロナ禍が収束するまでの労働者への賃金・収入の補償である。さらに中小企業や個人事業主が営業を継続できるための固定費の補償であり、社会保険料や消費税などの大胆な減免措置の断行である。これらは、単なる景気対策ではなく、国民の“生存権”を守る緊急施策として、簡易に、迅速に、確実に実行される必要がある。
最低賃金近傍(最低賃金×1.15未満)で働く労働者のうち、女性労働者の22.51%(約301万人、男性の2.7倍)、女性のパート労働者の41.20%(約238万人、男性の3.5倍)が最低賃金近傍で働く低賃金労働者となっている。産業別では、いわゆるエッセンシャルワーカーに最低賃金近傍で働く労働者が多い。卸売・小売業で働く女性労働者の34.48%(約98万人)、宿泊業・飲食サービス業で働く女性労働者の46.74%(約53万人)が最低賃金近傍で働く低賃金労働者となっている。これらの業種の多くが、コロナ禍のもとで大きな影響を受けている。
単身世帯の4割が「貯蓄ゼロ」
金融広報委員会があらわした「2019年家計の金融行動に関する世論調査」によると、金融資産非保有世帯(貯金ゼロ世帯)の割合は、「単身世帯:38%」、「2人以上世帯:23.6%」となっている。単身世帯の4割、2人以上世帯の4分の1が、貯蓄がない状況である。
コロナ・ショックは、こうした蓄えのない低所得世帯に、深刻な影を落としている。低所得世帯の多くは非正規雇用労働者など、不安定な雇用と低賃金により“その日暮らし”を余儀なくさせられている世帯である。そして、エッセンシャル・ワークの基幹部分を担っているのも、そうした非正規雇用労働者なのである。社会生活の基礎を担う労働の対価として、最低賃金の設定額は低すぎる。社会生活の基礎を担う労働に対し、大幅に引き上げていく必要があり、それを支える中小企業支援策は、後退した現在の制度ではなく、社会政策・経済政策として拡充が求められる。
セーフティネットが生存ぎりぎり水準であってはならない
IMFによれば、「社会的セーフティネット」とは、慢性的に仕事や収入をえることができない慢性的貧困ならびに仕事や収入を得る能力が生存に必要なぎりぎりの状態に陥る一時的貧困の2つの不幸な結果から個人や世帯を保護するプログラムであると定義している(2002年4月2日総会)。ワーキング・プアと言われる働く貧困層などあってはならず、そのために最低賃金制度が日本国憲法第25条の『健康で文化的な最低限度の生活を営む権利』を保障している。その意味を遵守するのであれば、憲法の各条に基づいたセーフティネットの構築が求められているのであって、25条2項と併せて考えると、まさに政府の役割である。個々の企業の支払能力だけに基づいた水準で論ずる課題ではなく、政府に対して要求し、実現すべき課題である。
2.賃金底上げで内需拡大こそが景気回復の道
リーマンショックでの派遣切り、賃金抑制の誤りを繰り返してはならない
2008年のリーマンショックの際、欧米の各国は、労働者の賃金を引き上げることで、内需の拡大を図って乗り切った。先進国の中で、唯一日本だけが、派遣切りなど雇用を崩壊させ、賃金を抑制することで、企業利益だけを確保して「経済復興」をすすめた。その結果、国民の消費購買力が回復せず、深刻なデフレから抜け出せなくなった。
「不況だから」として、最低賃金を凍結や抑制するのではなく、大幅に引き上げることが、コロナ禍収束後の景気回復に必須の条件となる。そして、地域間格差を解消することが、だれでもどこでも安心して生活できる日本を築いていく条件となる。
最低賃金と失業率の間に直接的な関係はない
日本商工会議所などが4月15日に発表した最低賃金に関する要望「コロナ禍の厳しい経済情勢を踏まえ、『現行水準の維持』を」では、「最低賃金を大幅に引上げると、失業者が発生するリスクがあると考える方が自然」と述べている。しかし、中央最低賃金審議会は「最低賃金と失業率の間に直接的な関係はない」と述べている。
政府の成長戦略会議のメンバーでもあるデービッド・アトキンソン氏は「日本でも最低賃金をこの数年、毎年3%ずつ引き上げてきています。しかし、倒産件数は減少し、求人倍率は上がっています。このような事実が存在するにもかかわらず、なぜ『最低賃金を引き上げると、失業率が上がる』と主張されるのか、まったくもって理解不能」と述べています(2019年10月9日東洋経済オンライン)。
コロナ禍の中での営業の時短・休業要請が繰り返されるなかで、飲食・宿泊業を中心に雇用が失われたが、上図のとおり最低賃金の引き上げと失業率の間に相関関係はないといえる。
また、最低賃金の引き上げについて日商の要望書は「中小企業の経営を直撃し、雇用や事業の存続自体を危うくすることから、地域経済の衰退に一層拍車をかけることが懸念される」としている。
労働運動総合研究所(労働総研)が2021年1月に発表した春闘への提言によると、最低賃金 1500 円への引き上げは、国内生産を 26.7 兆円、付加価値を13 兆円増やし、169.5 万人分もの新たな雇用を生み出し、税収を 2.48 兆円増加させるとの試算を発表している。
最低賃金の引き上げを含む賃金の引き上げは企業の労務コストを上昇させるが、やがて家計消費需要の拡大を通じて新たな国内生産が誘発され、企業経営にプラスなど、大きな経済効果を生むことが分かる。
3.労働者の生計費に基づく最低賃金制度の実現を
標準生計費(人事院公表)の矛盾
毎年、中央最低賃金審議会の資料として提示されている標準生計費(人事院)によると2020年の単身世帯(月額)の標準生計費の最高額は埼玉県の162,150円、2番目が和歌山県の155,517円、最下位は、愛媛県の74,650円となっている。また、東京都は126,390円で埼玉県との差は35,760円となっているだけでなく、福岡県の128,710円よりも低い。
標準生計費の矛盾はそれだけではない。2019年に最高額だった兵庫県236,300円は、2020年には87,540円と148,800も減り、最低額だった和歌山県(89,007円)が66,510円も上がっている。標準生計費は、どのような生活様式・水準を基準として計算されているのか明らかにされておらず、その計算方法も開示されていないため検証が困難になっている。そういう曖昧な数値をベースに最低賃金を議論すること自体に矛盾がある。
日商の要望書は「仮に、最低賃金を全国で一元化すれば、地方では雇用の担い手である中小企業が経営不振に陥り、労働者は仕事を求めて都市部へ移動することが予見される」と述べているが、全労連が行った街頭アンケートでは、「最低賃金が全国一律になった場合、地方で働く契機になるか」という質問に対して、約6割の労働者が「地方で働くきっかけになる」と回答している。
また、要望書では「東京都をはじめとしたAランクは地域別最低賃金額は高いものの生計費も高い」と述べているが、全労連が実施している“マーケットバスケット方式”による「最低生計費試算調査」(監修:静岡県立大学短期大学部 中澤秀一准教授)の結果では、当たり前に人間らしく暮らせる最低生計費はAランクの地方でもDランクの地方でもほぼ同額であることが明らかになっており、大都市圏の方が生計費が高いとする根拠は存在しない。
「払えるかどうか」でなく、「労働者の生計費」考慮を
賃金は本来、労働者と使用者の交渉の合意による労働契約で決まるとされている。これは、近代市民法の大原則である「契約自由の原則」に基づくものである。しかし同時に、憲法第25条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と定めている。つまり最低賃金制度は、憲法25条の生存権の保障を根拠として、契約自由の原則に修正を加えているのである。
さらに憲法第27条2項では「賃金、就業時間、休息その他の労働条件に関する基準は、法律でこれを定める」として、使用者に対して弱い立場にある労働者を保護することを国に命じている。労働者の多くが賃金に依存して生活していることからも、賃金には生存権を保障する水準が保障されるべきであり、「払えるかどうか」で決めるのは本旨ではない。賃金支払いが困難であることの原因は、労働の対価を保障できる水準に届かない価格設定と流通機構、搾取の自由などにある。生活できる賃金が反映できる価格設定が必要なのである。
生活に困難をきたす低賃金は甘受できない
なお、日本政策投資銀行の調査では、9割の企業が「人件費上昇を販売価格に反映できていない」と回答している。中小企業白書によれば、経常利益率は資本金が多い企業の方が高い。つまり、資本力がある企業が、しっかりと利益を確保しつつ、販売価格や下請け単価などを統制しているために、下請や資本力の弱い企業の経常利益率が低くなっている。
従って、賃金には、憲法、労働基準法、最低賃金法に明記されている「健康で文化的な最低限度の生活」を充たす水準が不可欠であるとする最低賃金法の理念が生きてくる。不況であることは、生活に困難をきたし、人間としての尊厳も損なわされかねない、最低生計費に届かない低賃金を甘受させる根拠とすることはできない。
4.いまこそ中小企業を支える総合的な支援策を
大企業の価格支配で適正単価が反映されていない
中小企業の労働分配率が高いことは、労働生産性が低いことより、適正な単価による公正取引が行われていないこと、労働の対価としての基準設定が低いことに主たる要因がある。
特に“BtoB”(企業から企業)では、発注企業や元請企業など上部企業による優越的地位の濫用や低単価受注の押し付によって中小企業の生産性が低く抑えられている。“BtoC”(企業から消費者)では、国民に対する低賃金の継続により国民の消費意欲や能力が失われていること、あわせて大きな資本力をもつ企業による市場の価格支配により低単価が誘導され、消費価格に原価が適正に反映されない。このことが、デフレから脱却できない要因ともなっている。
適正価格による公正取引の確立を
いま求められるのは、優越的地位の濫用などを明記するなどの独占禁止法の抜本的改定、下請二法の強化、公正取引委員会の機能と体制の強化などにより、適正価格による公正取引の確立であり、それを保障する法整備と行政力の拡充である。さらに、諸外国並みの中小企業支援策の大幅な拡充である。
家計最終消費支出が実質GDPの55%を占めているに対して、民間設備投資は、実質GDPの15%前後で推移しており、民間設備投資の額は家計最終消費支出の3分の1程度である。設備投資も重要な課題ではあるが、この深刻な不況下にあって最も重視すべき課題は、内需の拡大による経済効果であり、それを支える賃金の底上げである。
最低賃金の凍結や抑制は経済に負の効果しかない
そしてこの危機的状況下に求められる施策は、時短営業や休業要請によって被った損失と固定経費を、迅速に、確実に、事業主と労働者に届けることであり、少なくともコロナ禍が収束するまで繰り返し実施することである。
最低賃金の凍結や抑制は、経済に対する負の効果しかない。消費を向上させるためには、賃金の底上げが最も効果的である。それには、全国一律最低賃金制に転換し、地域間格差を解消し、全国どこでも最低生計費を保障する時給1500円以上に引き上げることが必要だ。同時にそれを補完する、中小企業の願いに寄り添った行政の力強く利用しやすい支援策の拡充は不可欠である。
さらに経済活動を抑制する消費税は、直ちに5%以下に引き下げることも強く求めるものである。
以上