フィリピンの経済は、2002年の国内総生産(GDP)成長率が4.6%に達し、アジア経済危機後の最高を記録。製造業も4.1%成長し、前年の1.3%から大幅に回復するなど、景気の好転が見られた。しかし、世界的な景気停滞のもとでの競争の激化を理由としたリストラ解雇が広がっており、国家統計局の発表によると、03年7月の失業率は12.7%を記録し、前年同月比で1.5ポイント悪化した。失業者数は、前年同期をおよそ53万人上回る434万8,000人となった。また、不完全就業者数は、前年同月より約105万人多い621万1,000人で、不完全就業率は前年同期より3.7ポイント多い20.8%となった。
こうした雇用・失業状況の悪化の中で、フィリピン長距離電話会社では交換手の大量解雇計画に反対するストライキがたたかわれた。
衣類大手メーカーの下請企業が、労働者の居眠り防止用に「やせ薬」を栄養剤と偽って長期間支給していたことが、労働者の内部告発で発覚。全国労組が重大な非人道的不法搾取の問題として政府に調査と対策を要求し、政治問題化した。
労働雇用省がおこなった労使間の賃金協定調査の結果、フィリピンの労働組合の賃金交渉にたいする影響力の強さが明らかとなった。
米英によるイラク武力攻撃をアロヨ政権がいち早く支持し、米国の要求で派兵を決定したもとで、国民の間で対イラク戦争反対、派兵反対の世論と運動が高まり、国会内でも下院の過半数がイラク戦争に反対。イラクへの派兵実施は大幅に遅らされた。
■長距離電話会社で交換手の大量解雇に反対のストライキ
フィリピン長距離電話会社(PLDT)で、2002年12月23日から2003年1月3日にかけて、経営者側の電話交換手大量解雇計画に反対するストライキがたたかわれた。
PLDTの経営者側は02年11月、同社の電話交換手546人を解雇するという人員削減計画を発表した。経営者側はその理由として、ダイレクトコールや電子メールの普及により、交換手による電話交換回数が、1996年の4億6,400万回から02年には約1億2,900万回にまで約75%減少し、特に利益率の高い国際通話が97年比60%も減少するなど、経営に大きな影響を与えていることをあげた。
これに対し、同社の一般組合員労働組合(MKP)は、7,000人の組合員を結集して抗議ストを実施する声明を発表し、直ちにPLDTの62カ所の主要な電話交換所の前でピケットラインを張るなど、闘争態勢に入った。経営者側は、特別退職手当の増額や一部の労働者の配置転換による雇用維持計画を提示したが、組合側は同意せず、解雇計画の全面撤回を要求した。
02年12月23日、MKPは、クリスマスコールが最も集中する時期に合わせてストライキに突入した。経営者側は管理職を動員してスト切り崩しをはかり、一定数のスト不参加者と管理職によって業務の維持をはかった。組合側はスト中の労働者を動員して、マニラ市、セブ市、マカティ市のPLDTの事務所前でピケを張り、ストライキを続行した。
12月24日、Sto.トーマス労働大臣が記者会見で、「政府は、経営者の権利の行使を中止させることはできない」と言明し、労組側には経営環境の変化に対して理解を示すように促し、争議に積極的には介入しない態度を示した。これに対し、ペト・ピンラックMKP委員長は、労働大臣の発言は企業の身勝手な経営方針を容認するに等しいものであり、経営者側が雇用契約に対する権利を持っていたとしても、この発言は労働者を失業から保護する集団労働契約の規定に違反するものだ、と反論した。
12月25日、労働雇用省が争議の調停を開始したが、労組側の要求する解雇計画撤回は実現されず、調停は不調に終わった。MKPは12月27日、アロヨ大統領がこの労使紛争に介入し、解雇命令を撤回させるよう行政指導することを要請する声明を発表した。
年明けの03年1月2日、労働雇用省は2回目の調停に乗り出したが、経営者側は、組合側が要求した546人の解雇の完全撤回を拒否し、546人のうち337人については再雇用のポストがないと主張。調停は再び失敗に終わった。
MKPは、PLDTの経営者側が、常勤の労働者を解雇した後に非常勤の労働者を採用して、電話交換業務をおこなわせていることを非難し、労働雇用省に調査するよう要求した。ジョセフ・ジメンツ労働次官はこの要求を受け入れ、同省の特別チームに調査を命じたが、経営者側は労働雇用省に非常勤雇用の労働者リストを渡すことを拒否した。
1月3日、労働大臣はPLDTの労働争議に対する強制仲裁に踏み切り、同日、強制仲裁の裁定書に署名した。強制仲裁の内容は、経営者側の要求をほとんど受け入れたもので、労組側に対し、解雇された546人以外は職場に復帰するよう命令し、一方、経営者側に対しては、職場復帰した労働者にスト参加以前と同様の雇用条件を保障するよう命令した。
MKPのピンラック委員長は、労働大臣が全国労働関係委員会(NLRC)による三者協議をおこなうことなく強制仲裁を実施したことを非難した。しかしこの決定によって、スト中の労働者は職場復帰を余儀なくされ、ストライキは終結した。
■居眠り防止用に「やせ薬」を支給 ― 非人道的搾取として政治問題化
<労働者の内部告発で発覚>
タイタイ市にある縫製下請企業アンビル社が、労働者に対し、居眠り防止用にやせ薬を、ビタミン剤や栄養剤と偽って長期間にわたり支給していたという疑惑が、労働者の内部告発で発覚した。
アンビル社は、幼児用衣類の大手メーカーのファーストワールド社などの下請工場を経営してきたが、同工場の労働者の多くは非常勤雇用で、繁忙期には労働者に48時間から72時間の連続勤務を強要していた。
同工場の労働者は、労働雇用省の地方事務所に対し、アンビル社が賃金や手当の支給を滞らせているとの訴えを起こした。この賃金と各種社会保障制度の掛金の未払いについての調査・報道の過程で、労働者が居眠り防止用のやせ薬支給問題をフィリピン・デイリーインクワィアラー紙の記者に内部告発したことから、真相が発覚した。
労働者の告発によると、労働者たちは最初、ビタミンCの錠剤、リポビタンやエクストラジョスなどの栄養剤を支給されていると思っていた。しかし、服用後、不眠症の症状を自覚するようになり、市販のデュロマインというやせ薬ではないかという疑惑を持ち始めていた。
<全国労組が政府に調査を要求>
労働組合全国組織もこの事態を重視。フィリピン労働組合会議(TUCP)のアーネスト・ヘレラ委員長は、労働雇用省に対し、早急に調査するよう強く要求した。同委員長は、職場での違法薬物の服用問題が増加傾向にあると指摘し、TUCPの独自の調査によれば、2002年に約650万人の若年労働者の10〜15%が違法な薬物を服用しているとのべた。
「5月1日運動」(KMU)の幹部は、「これは氷山の一角にすぎない」と指摘、劣悪な労働を強いられている労働者の多くは季節雇用で、最低賃金以下の賃金で使用者側から非人道的な扱いを受けているにもかかわらず、労働雇用省の地方事務所はこうした実状を見て見ぬふりをしている、と批判した。
<自治体、政府、議会も調査に乗り出す>
タイタイ市のジェーン・ザパンタ市長は、03年7月4日、この事件を人道的見地から重く見て、アンビル社の財務担当を市政府に呼んで直接に事情聴取をおこなった。しかし同社のアウグスト・ラゾ財務担当は、やせ薬を支給した事実を否定した。その後、マスコミ報道により、同社がやせ薬を支給していた新事実が次々に明らかになる中で、ザパンタ市長は直接工場を訪問したが、会社側は市長が労働者と接触することを拒否した。
Sto.トーマス労働雇用相は03年7月11日、今回の事件は労働搾取企業を一掃するための好機だとのべ、今後、このように労働者を非人道的に働かせる企業の摘発に全力を尽くすと強調した。同省の調査班は、労働者への初期調査の中で、支給されていた錠剤はビタミンCの錠剤ではないことが明らかになったと発表した。
マニュエル・ロハスU世財務相は、貿易産業省と協力し、貿易産業省の付属機関である衣料・繊維輸出委員会が調査を開始したと発表した。
フィリピン議会も、人道的見地からこの問題を重視している。上院の「正義と人権」委員会のフランシス・パンジリナン委員長は、労働雇用省に対し、だれが実際の経営者か、責任の所在を厳しく調査するよう要求した。また、上院労働委員会のラモン・マジサイサイJr.副委員長は、労働雇用省に対し詳細な調査を実施するよう要求した。
今回の事件をめぐる世論の批判が高まる中で、フィリピン政府は、労働力市場での圧倒的な供給過剰のもとで優位な立場にある使用者側に対して、労働基準を順守させるための厳しい施策をおこなう必要に迫られている。
■賃金交渉での労組の影響力の強さ示す ― 労働雇用省の調査結果
フィリピンの労働雇用省は、2002年に労使間の団体交渉に基づき締結された賃金協定の調査内容を発表した(同年6月時点での調査)。この調査結果をみると、フィリピンの労働組合の賃金交渉に対する影響力の強さが示されている。
今回の調査の対象はマニラ首都圏およびその周辺地域に限定された。調査対象となった全産業の平均賃金月額は1万911ペソであった。
月額基本給与と月額各種手当の支給状況について、労働組合のある企業とない企業とで比較してみたところ、基本給与、各種手当ともに、すべての産業において労働組合のある企業のほうが高いことが明らかになった。月額基本給与については29.5%上回る9,787ペソ、月額各種手当については3.35%上回る756ペソであった。
労働組合が存在し、かつ労使協定が締結されている企業と、労働組合が存在していても労使協定が締結されていない企業を、月額基本給与と月額各種手当の支給面で比較してみると、いずれについても労使協定が締結されている企業のほうが、労使協定を結んでいない企業よりも高かった。月額基本給与については、27.9%上回る9,849ペソ、各種手当については2.8%上回り900ペソであった。
■イラク戦争反対運動―比軍の派兵大幅に遅れさす
フィリピンでは、アロヨ大統領が米英両国の対イラク武力攻撃にいち早く支持を表明し、4月のフセイン政権崩壊後には政府がイラクへの派兵を決定した。しかし、対イラク戦争反対の世論と運動が高まり、国会内でもイラク攻撃の正当性への疑問や米国の圧力に対する批判が強まいる中で、イラクへの派兵実施は大幅に遅れた。
米英両国がイラク武力攻撃を開始した3月20日、首都マニラでは大規模な抗議行動が展開された。これに先立つ3月8日、国際婦人デーには、マニラで女性らが米国大使館前に集まって、米国主導の対イラク戦争反対のデモをおこなった。
米軍がバグダッドを制圧した後、アロヨ大統領は米国の要求に基づいて、イラク派兵の行政命令を公布、当初計画では500人の要員派遣と派遣費用6億ペソ(約14億4,000万円)を計上した。
これに対して国民の間では反戦と派兵反対の世論が急速に高まり、5月4日には各労働組合が、アロヨ政権の米英占領軍への加担とイラクへの派兵に反対する対政府抗議行動を展開した。
また、イラク派兵をめぐる国会審議でも、「米、英軍によるイラク攻撃は侵略戦争であり、占領軍への加担はすべきでない」、「派兵は『国策としての戦争は放棄する』とした憲法の条項にも違反する」、「2,100億ペソを超える国家財政赤字を抱えるもとで、派兵予算は承認できない」などの厳しい批判と反対の意見が続出。下院では過半数を超える議員が、対イラク戦争と派兵に反対するに至った。このため政府は、派遣要員数を当初計画の500人から175人に減員、予算も6億ペソから1億7,900万ペソに減額するなどの妥協をはかったが、院内外の反対世論に押され、派兵は大幅に遅れた。(小森良夫)
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