タイの2003年上半期の国内総生産(GDP)成長率は6.2%を記録し、03年の成長率見通しは5.8〜6.2%に上方修正された。失業率も低下傾向にあり、アジア経済危機後の98年第1四半期の5.2%という最高値に比べて、02年第1四半期に3.2%、同年第2四半期に2.9%、第3四半期に1.8%、第4四半期にも1.8%と、経済危機後最低の水準となった。しかし繊維・縫製産業などでは競争力強化を理由にした大量リストラで失業者が増えており、新卒者の就職難などで若年失業者が増加している。
こうした中でタイの労働組合は、バンコクをはじめ多数の地方の最低賃金審議委員会で最低賃金日額の1〜5バーツ引き上げの合意をかちとった。また、タイの労働者と労働組合の長年の要求であった失業保険制度が、04年1月から導入されることとなった。繊維産業や娯楽産業で働く女性労働者が、権利保障と差別撤廃を求め請願行動に立ち上がっている。
タイでも、米国の対イラク戦争に反対して国会内外で反戦運動が展開された。
■最低賃金2年連続引き上げへの動き
バンコクの最低賃金審議委員会は2003年9月8日、バンコクの最低賃金日額を現行の169バーツから171バーツへ2バーツ引き上げることに合意し、この決定を中央最低賃金委員会に上申した。また、これに先立ち8月20日の中央最低賃金委員会には、46の地方の最低賃金審議委員会から1〜5バーツ程度の最賃引き上げ案が提出された。
タイでは03年1月1日から1都31県で最低賃金引き上げが実施され、1〜8バーツ程度の増額となり、バンコクでもそれまでの165バーツから169バーツに引き上げられたばかりであった。それから1年もたたないうちに、早々と最賃引き上げの決定が各地方で相次いでおこなわれてきたのは異例のことであるが、その背景には次のような経緯がある。
タイの最低賃金は、金融危機後の1998年に凍結されて以来3年間据え置かれ、01年1月に4年ぶりに引き上げられた。その上げ幅は労働組合側の要求をはるかに下回り、バンコクで162バーツから165バーツへ、わずか3バーツの引き上げにとどまった。しかも02年にはまたしても引き上げが見送られ、03年1月に漸く前述のような引き上げが実施されたのである。
この間、タイの労働者と労働組合は、最低賃金の大幅引き上げを求めて対政府要求運動をねばり強くすすめてきた。今回の各地方での連続的な最賃引き上げへの動きは、タイ経済好転のもとで労働側が活発な最賃引き上げ運動を展開してきたことによるものである。
■失業保険制度、04年1月から導入へ
タイで長年労働組合などから実施を求められていた失業保険制度が、2004年1月1日から導入されることとなった。これにより、1990年の社会保障法に基づく7つの制度((1)病気、(2)障害、(3)死亡、(4)出産、(5)児童福祉、(6)老齢年金、(7)失業)のうちの最後の分野が制度化されることになる。
<失業保険制度の概要>
タイ政府は03年6月17日の閣議で、04年1月から徴収が開始される失業保険料の政労使の各負担率を、政府が従業員月額賃金の0.25%、使用者が0.5%、労働者本人が0.5%と決定した。失業保険給付は、社会保障基金から拠出される。
失業手当の受給対象者は、保険料を最低6ヵ月以上納め、かつ労働省の職業安定所に登録した者で、解雇された労働者だけでなく、自己都合による退職者も含まれる。支給額は、前者が賃金の50%を180日間、後者は賃金の50%を90日間もしくは30%を180日間のいずれかを選択する方式となっている。ただし、解雇の理由が犯罪行為などであった場合には、受給資格は喪失する。
なお、保険料の徴収は04年1月から開始されるが、給付については、最低180日以上の保険料納入が要件であるため、実際の給付など本格的な運用の開始自体は04年7月以降となる予定である。
タイの社会保障制度にとって今後に残されている大きな問題は、本来最も社会保障制度の適用が必要な社会的弱者層―インフォーマルセクターの労働者や貧困層―に手が届いていないことである。この問題についてタイ政府は、今後6年間をかけて、移民違法労働者や貧困層やインフォーマルセクターの失業者に対する救済策をおこなうことを宣言しており、04年1月から貧困層の現状把握のための登録受付を実施していく方針である。
■女性労働者の権利保障と差別撤廃求め請願行動
2003年3月1日、職場における女性労働者の権利保障と差別の撤廃を求めるデモが、国際女性デーの行事の一環としてバンコクでおこなわれた。デモの中心となったのは繊維産業、娯楽産業に従事する女性労働者であった。
ナコン・ルアン・テキスタイル社労組の副委員長で女性労働統合グループの副代表であるウィライワン女史は、政府に対して、(1)女性労働者が健康で安全に働くことのできる職場環境の創出、(2)解雇された労働者が社会保障基金から脱退しなくてもすむように、社会保障法を改正すること、(3)社会保障法と労働者保護法を改正し、非典型雇用やインフォーマルセクターに従事する労働者も保護の対象とすること、(4)HIV感染労働者への医療補助、(5)企業の政策決定への女性参加の促進、などの要求を盛り込んだ請願書を提出した。
タイ縫製テキスタイル皮革産業労働連合の代表は、同産業の女性への差別は退職年齢にあらわれているとのべた。同連合代表によると、繊維・縫製産業では男性労働者の退職年齢が55歳であるのに、女性労働者は45〜50歳となっている。繊維産業の女性労働者が、男性と同じ55歳の退職を求めて裁判を起こし、勝訴したケースもある。
公共交通事業団労組のワラバ議長によると、公共交通機関でも同様の女性差別が存在していたが、労組と経営者側との協議を重ねた結果、女性の退職年齢を引き上げることに成功した。
1997年の通貨危機後、もっとも深刻な影響を受けて大量の労働者が解雇された縫製テキスタイル産業では、職種上、手先が器用で目のいい労働者が求められ、その結果、若年女性労働者が大量に採用されている。そのため、求人募集広告には年齢制限が設けられ、時には容姿までも採用条件に入れられることがあり、これは明らかに違法であると専門家は指摘している。
3月上旬、バンコクやチェンマイなど各都市の女性労働者代表50人が、娯楽産業に従事する女性労働者の権利確立を求めてバンコクに結集し、新娯楽法を審議する上院特別委員会の代表に請願書を提出した(1966年に制定された娯楽産業に関する諸事項を定めた法律の改正案を審議中)。
請願書は、これまで社会保障法の対象外であった娯楽産業の女性従業員(歌手、ホステス、マッサージ・パーラーで働く女性など)も、社会保障の対象に加えるよう求めている。娯楽産業で働く女性労働者も、健康保険や産休・育休制度を利用したいという要求が切実である。また、賃金の未払いや不当搾取といった人権にかかわる問題も、同産業では日常茶飯事となっており、同産業の女性労働者の人権保護を活動目的としたNGOもタイには多数存在している。
■イラク戦争反対運動
3月14日、タイ上院議員200人のうち120人が、米国の対イラク戦争計画に反対し、米政府に対し、国連の決定に従って行動するよう求める書簡に署名した。
3月15日、国際反戦統一行動の一環として、首都バンコクの国連ビル前に3,000人以上が集まり、「国連は米国に立ち向かえ」などのプラカードを掲げて、「イラク戦争反対」を唱和し、平和の象徴であるハトを空に放って反戦を訴えた。(小森良夫)
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