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国旗 世界の労働者のたたかい
英国
2004

政治経済の概況

 2003年における英国経済は、外需の不振にもかかわらず概ね堅調に推移した。政策金利は7月の引き下げにより3.5%となって50年間で最低の金利を記録した。しかし、イングランド銀行は11月、4年ぶりに政策金利を引き上げ3.75%とし、国際的なデフレ懸念の低金利政策の中でイギリスの特殊性(インフレ率が2.75%とやや上がり気味)を示した。
 経済成長率(実質GDP)は2002年には1.7%に低下したものの、旺盛な個人消費と政府支出に支えられて2003年は2.1%へと回復が見込まれている。雇用については製造業の就業者数が減少を続けているが、OECD諸国の中で優等生であり、ILO基準の失業率も2003年末にかけて4.9%となり、記録的な低水準となった。しかし、就業者数の増大が、主にパートタイムに負うものだという点に注意する必要がある。
 政治面では、ブレア首相の「イラク大量破壊兵器」疑惑などにより、労働党への支持率が急激に低下している。とりわけ、5月に行われた一斉地方選挙では、労働党が833議席を失い3,001議席しか獲得できなかったのに対し、保守党は566議席増やし4,423議席として労働党を大きく上回ったほか、自由民主党も193議席増やし2,624議席となるなど、ブレア政権に対する逆風が吹き荒れた。国政レベルでも労働党の支持率が低下しつつあり、保守党党首がハワード氏に交代した11月以降の世論調査では、保守党が労働党を上回る傾向をみせている。
 TUCでは、10年間書記長を務めたJohnn Monks氏が5月にヨーロッパTUCの書記長に選出されたため、副書記長だったブレンダン・バーバー(Brendan Marber)氏がTUC新書記長に選出された。

主なストライキ

<消防士のストライキ>
 越年闘争となった消防士の賃上げ要求は、2003年1月にも断続的交渉が続いたが、結局1月21日の24時間ストを迎えてしまった。消防士組合(FBU)は、さらに1月末から2月にかけて2度の48時間ストライキを決行し、昨年からの通算で15日間ものストライキを敢行したことになる。組合が昨年5月に提示した当初の要求は数年間にわたる40%の賃上げであったが、ACAS(調停仲裁局)を交えた本格的な交渉に入ってからは実質的に16%が攻防ラインとなっていた(本誌前号参照)。しかし、昨年11月の消防士のストライキの時に軍隊が出動して旧式な装備ながらその消防活動が予想以上に機能したこと、そして政府が設置したベイン委員会が使用者側の主張に沿った勧告を昨年12月に示したことなどにより、消防当局(地方自治体)の譲歩がみられなくなり、組合も態度を硬化させ、今回の一連のストライキとなった。このため、ストあけの2月はじめから政府側のプレスコット副首相を交えた消防の労使協議が開かれ、16%への使用者側の譲歩もあり、3月にはようやく解決の兆しが見えるようになった。とはいえ、組合指導部の受諾姿勢に対して、4月の消防士の臨時総会で使用者側提案を圧倒的多数で否決するなど、強硬な姿勢を崩さない勢力との組合内の対立も生まれ、イラク情勢も影を落とす(イラク派兵で軍隊の出動が困難な状況の中でストをやれば国民に非難される)ようになり、情勢は5月まで不安定なまま推移した。
 結局、使用者側が5月20日に最終提案を提示したのを受けて、消防士組合(FBU)は、6月12日グラスゴーで臨時大会を開催した。そして、3対1という票差で、組合は政府および自治体当局が提示した昇給案の受諾を可決し、1年余りにわたるたたかいに終止符を打った。FBUと使用者側の自治体当局が合意した内容は、3年間で合計16%の賃上げ(前年11月に遡及して4%、2003年11月に7%、2004年7月に4.2%で、消防士の基本給を25,000ポンドとする)を実施すること、および勤務体制の見直しを進めることであった。勤務体制の見直しには、人員削減を小規模に抑える、夜勤人員の変更を含めより弾力的な勤務体制を導入する場合、地域ごとに労使委員会の合意をもって行う、人員不足の穴埋めとして時間外労働を使わない、今後の消防士の賃金は肉体労働者でなく、専門的・技術的職種との比較で考える、という新たな約束が加わった。
 ところが、11月4日、約束された7%の昇給がないことを不満とする消防士の山猫ストが発生した。使用者側によると、11月以降の昇給については勤務体制の改善が条件であったのに、それに対する組合の協力が十分に得られていないため、とりあえず半分の昇給を行い、翌年3月までに勤務体制の改善が検証された後、残りの半分を11月に遡及して実施したいということであった。再びストライキになる状況のなかで、組合は11月28日に組合員投票を実施し、使用者側の案を飲むことになった。

<混乱続くロイヤル・メール>
 2003年のはじめから郵便労働者の職場放棄(スト)が多発していた。その背景には、英国郵便公社の民営化と、それに伴う経営力強化=リストラという問題があった(本誌前号参照)。すなわち、2007年の郵便事業完全自由化に向けて、段階的に郵便事業の規制緩和が計られているが、旧郵政公社であったロイヤル・メールは、早くも2000年から3年連続で赤字に陥るなど、経営の悪化が予想以上に進んだ(4月に通常切手を1ペンス値上げしたため前期黒字に転じるが、最終的には赤字が続く)。赤字が拡大するたびに大幅な人員削減を含む経営の合理化策を前倒しで進めようとする会社側と、経営の失敗を労働者にしわ寄せすることに反発する組合側(CWU:通信労働者組合)とが激しく対立した。ロイヤル・メールによると、20万人の従業員を擁し、一日だけで8,100万通もの郵便を取り扱っているが、2002?2003年の年間損失額が6億1,100万ポンド(1,160億円)に達するという。しかも小包は350g以上がすでに完全自由化され、大口郵便物も自由化されるなど郵便事業の競争は強まるばかりである。このため、会社側の基本提案は、20万従業員を3年で3万人削減し、より効率的な作業慣行を導入するというものである。組合は、人員削減と労働強化は受け入れられないとし、会社が提案した1年半で14.5%の賃上げにも応じなかった。しかし、9月17日に発表されたCWU郵便労働者の全国ストのスト権投票(確立すれば7年ぶりとなる)の結果は、僅差で全国ストに反対するものであった(48,038票対46,391票、投票率59%)。これは郵便労働者左派の敗北と報じられた。ロンドンではスト賛成票が多数を占めたものの、全国レベルで投票に敗れた労働者の不満がくすぶり続けた。
 一方、同日に行われたロンドン地域手当スト権投票では、ロンドンの地域手当(年4,000ポンド)を要求してストライキをやることが決定された。こうして、10月16日から、同じく地域手当の増額要求をしている自治体職員の組合とともに、ロイヤル・メールのストがロンドンで始まった。このストが呼び水となり、続いて今年最大の山猫ストが10月下旬に英国全土に広がった。11月7日に全ての郵便労働者が職場に復帰するまで、英国全体の郵便配達が大混乱をきたした。この大規模な山猫ストが終息した後も、滞留郵便物を処理するのに2週間もかかり、合わせて1ヵ月近くに及ぶ郵便配達業務の遅延を招いた。労使間の一層の話し合いを条件に、とりあえず大規模な山猫ストは収まったが、労働者の不満はくすぶり続けている。
 ところが、労使間の話し合いが進展していないことに業を煮やしたロンドンの郵便労働者が12月1日、クリスマス時期にストライキに入る予告を出した。こうして一層の話し合いが進められた結果、12月12日には、Royal Mail側とCWUが勤務条件の変更について合意にこぎ着けた。郵便職員を3年間で3万人削減することを条件に10%の賃上げを行う、1日2回の配達を1回に減らすことなどが盛り込まれている。これを受けて、CWUは2004年始めに組合員投票を行い、これを承認する見通しである。

<鉄道関係のスト>
 2003年3月から4月にかけて3波にわたる鉄道車掌のストライキがあった。第1波は3月28日で、鉄道の主要労組RMTの組合員約3,000人の車掌がストライキに入り、9つの運行会社に影響がでた。第2波は3月31日、第3波は4月17日に行われ、いずれも一日ストであった。ストの原因は、運行上の安全問題で、RMTは、事故発生時の対応規則(1999年に改訂された)に問題があるので、その変更を迫っている。すなわち、事故発生の際、鉄道運転手は列車の運行面の安全確保を図ることになっているが、車掌は乗客の安全確保を図るのみで、車掌の役割を軽視しているというのが組合側の主張である。これに対し、会社側は規程はこれまでも機能しており、変更の必要はないとしていた。
 この問題の背景には、旧国鉄の民営化と近年における列車事故の頻発が指摘されている。とくに列車事故は、近年の死亡事故だけでも2002年5月のポッターズバー駅での脱線転覆事故(7人死亡)、2000年10月のハトフィールドでの脱線転覆事故(4人死亡)、1999年10月のロンドン・パディントン駅近くの列車衝突事故(31人死亡)などが起きている。なかでもハトフィールド事故では、鉄道管理会社2社と6人の管理責任者が過失致死や安全運行違反などの容疑で告訴されている。これらの事故が、民営化後、収益性を追求するあまりに、安全面を犠牲にした結果だという組合などの不信感を生んでいる(本誌前号参照)。鉄道を利用する英国民にとっては、事故の頻発に加え、列車の遅延が相次ぎ、その上、労使間のゴタゴタによるストライキによって、うんざりさせられているのが実態だ。
 一方、年末にかけて、今度はロンドンの地下鉄でスト騒ぎが起きた。実はロンドンの地下鉄でも最近脱線事故が続いている。一度目は10月17日のビカデリー・ラインで怪我人はなかった。二度目は10月19日で6人が怪我をした。この年の1月25日にもセントラル・ラインで32人もの怪我人を出す脱線事故があった(この時も線路保全技術のお粗末さが問題になった)。ロンドンの地下鉄はまだ民営化されていないが、保全業務は民間委託されている。そして事故の原因が線路の破損にあり、委託会社の点検業務で見逃されていたなどの問題が指摘されている。RMTによる年末のストライキは直前で回避されたものの、問題は未解決のまま年を越すことになった。
 さらに、地下鉄運転手の「不当解雇」問題が持ち上がり、11月13日夜からの24時間ストとなった。これは、傷病休暇中の労働者がスカッシュ(屋内スポーツ)をやっていたことが判明し、それを理由に解雇された事件である。本人とRMT側は、足首の怪我治療のため、スポーツ・リハビリをしていたのに、会社が一方的に解雇したのは不当であるとしている。この問題も、クリスマス時期のあらたなストライキは回避されたものの、解決されないまま年を越した。

<BAスト解決>
 7月18日突然の山猫ストがヒースロー空港を襲った。British Airwaysのチェックイン・カウンターの職員が電子タイムカード(swipe card)の導入に反対して起こしたストライキであった。組合側(TGWU, GMB, AMICUS)は、会社が一方的にシステム化されたタイムカードの導入を図ったため、組合員の間でそれがデータ管理を通じた労働強化やリストラに利用される懸念が広がったためだと説明した。会社側はこれを否定していた。このため、緊急の労使交渉が行われ、7月30日ようやく解決を見た。解決案によると、組合側はタイムカードの導入を認める(9月以降)。その条件として、新しいカードシステムを賃金査定に使わない、職員の交替勤務や変則勤務に利用しない、将来的な利用方法については、労使協議を必要とすることなどであった。このストは、500便の欠航と70億円の損失をもたらした。また、911以降の国際的な航空不況、イラク問題・サーズ問題などによる利用者減退という空前の航空危機のなかで生じただけに、BA社にさらなるダメージを与えることになった。

労組指導部の変化

 近年、英国主要労組の書記長選挙で労働党左派の台頭が顕著である。とりわけ2003年前半はその傾向がはっきりと現れた。2月、英国の鉄道、地下鉄、海運関係の主要組合であるRMT(鉄道海運組合)の書記長選挙で、他2人の候補を破り左翼のBob Crow氏が新書記長に選出された。4月には地方自治体職員など公務員を中心に組織しTUCで4番目に大きいGMB(都市一般労組)が、Kevin Curran氏を新書記長に選出した。彼は左派ではないが、伝統的に右派が有力とされていたGMBにおいて左派に近い書記長が誕生したことで注目された。また、同選挙で2位と敗れたものの、ロンドン地区書記長で左派のPaul Kenny氏が健闘した。そして5月、TUC第3位の組合で自動車産業など製造業を中心に組織しているTGWU(運輸一般労組)では、12年間も書記長を務めた穏健派のBill Morris氏の引退に伴う書記長選挙が行われた。この選挙でも、新人4人の候補がNew Labour(ブレア政権)の評価をめぐり激しい選挙戦を展開した。結果は、ブレア政権の大企業寄り中産階級寄りの姿勢を批判したTony Woodley氏が43%の得票を得て新書記長に選出された。ブレア政権が支援した右派のJack Dromey氏は29%の得票で2位、3位にはWoodley氏よりも左寄りと言われるCamfield氏が入った。7月には、政府職員や民間サービス産業を中心に組織するPCS(公共サービス組合)で、全国執行委員会選挙が行われ、それまで多数派を占めていた右派が激減した。これは2000年12月のPCS書記長選挙で左派のMark Serwotka氏が選出されたものの、その後の執行部内でゴタゴタが続いていた、その結果とも言えるものであった。
 以上のように、2003年の主要労組の動向だけをみても、左派の台頭が顕著である。こうした労組の新しい左派指導者をマスコミは“Awkward Squad”と称して、ブレア政権を支えてきた労働党やTUC内の変化を報じている。そのニュアンスは、多少政治的な偏見を込めて「厄介な者達」とか「困ったやつら」という意味である。マスコミによると、その最初の人物はASLEF(鉄道運転手組合)が1998年に新書記長に選出したMick Rix氏であるという。以来、PCS(公共サービス組合)や、郵便など通信関係の組合CWU(通信労組)、FBU(消防士組合)、AMICUS(製造科学金融組合)などの書記長選で“Awkwaerd Squad”が誕生してきた。2003年に誕生した上記新書記長を加えると、大きな流れとも言える。そして、9月には本も出版された(Andrew Murray, “A New Labour Nightmare: The Return of the Awkward Squad,” Verso Books)。
 だが、2003年7月、“Awkward Squad”の象徴的存在だったMick Rix氏がAslefの書記長選挙でブレア派のShaun Brady氏に敗れる事件が起きた。また、別掲のように、郵便労組CWUの全国スト権投票で、ストが否決され組合内の対立が起きている。12月におこなわれたUSDAW(商店流通労組;数少ないブレア派)の書記長選挙では、John Hannett氏が順当に新書記長に選出された。このような事例から、組合内における左派の台頭はすでに限界に達しているとする見方もある。

英国・10万人以上労働組合の組合員数の推移
組  合  名
2001年末
2000年末
1999年末
1998年末
UNISON 公務員組合 1,272,700 1,272,470 1,272,350 1,272,330
T&G 運輸一般労組 848,809 858,804 871,512 881,625
AEEU 機械電気組合 728,508 728,211 727,369 727,977
GMB 都市一般労組 689,276 683,860 694,174 712,010
RCN 看護士組合 344,192 334,414 326,610 320,206
MSFU 製造科学金融組合 332,691 350,974 404,741 416,000
NUT 全国教員組合 314,174 286,245 294,672 286,503
USDAW 商店流通労組 310,337 310,222 309,811 303,060
PCS 公共サービス組合 281,923 267,644 258,278 245,350
CWU 通信労組 279,679 284,422 281,472 287,732
NASUWT 男女教師組合 253,584 255,768 252,021 250,783
ATL 教師組合 186,774 178,697 183,144 168,027
GPMU マスコミ関連組合 170,279 200,008 200,676 203,229
UNIFI 金融組合 154,434 160,267 171,249 106,007
UCATT 建設関連組合 119,993 114,854 122,579 111,804
BMA 医師組合 112,872 111,055 110,206 106,864
合 計
6,400,225 6,397,915 6,480,864 6,399,507
出所: Annual Report of the Certification Officer, 1999-2000?2002-2003.
注1: 1998年末のUNIFIの数値は、合併前のBIFU(Banking Insurance and
    Finance Union)のもの。
注2:AEEUとMSFUは合併して、2002年1月1日よりAMICUSとなった。

イラク問題に揺れるブレア政権

 3月18日、英国下院は政府案の対イラク軍事攻撃を412対149で承認した。しかし同時に超党派で提出された「反戦修正案」の動議は、否決されたものの与党労働党議員と自民党議員を中心に217票を集めた。英国議会史上まれな139人もの与党議員が政府案に反対して行動した点が注目された。
 街頭では、イラク戦争に反対する反戦運動が盛り上がりをみせた。「査察の継続」「国連決議に基づく軍事行動」を含め、イラク反戦の輪が前年から広がりをみせ、とりわけ2月15日にはロンドンで200万人の集会が行われ、開戦直後の3月22日もロンドンで行われた緊急デモに100万人が集まった。
 開戦後、イラクを占領下に置いた米英軍によっても「大量破壊兵器」が見つからず、ブレア首相が「イラク軍は45分以内に生物・化学兵器を配備できる」などとしてイラク・フセイン政権の危険性を過大評価した疑いがもたれた。そうした中で5月29日のBBC放送は、政府のイラク大量破壊兵器の情報に誇張があるとし、政府の意図的な情報操作を指摘した。政府は直ちにこれに抗議し、撤回と謝罪を求めたが、BBCは逆に「情報当局に圧力をかけ、脅威を煽るような文言を挿入させたのはキャンベル首相府報道局長」だとスクープした。政府はこれを事実誤認としBBCに情報源を明らかにするよう迫った。BBCが情報源を明らかにしないまま、政府とBBCの対立が深まった。下院外交委員会も調査を開始したが、7月になってBBC側が「政府による情報操作」という報道に行き過ぎがあったことを認めた。一方その情報源がケリー博士だと知った政府は、氏名を公表した。7月15日の下院外交委員会に証人として呼ばれ、厳しい追求を受ける形になったケリー氏は、その後行方不明になり7月18日自殺体で発見された。自殺したデービッド・ケリー氏は英国国防省顧問の化学兵器の専門家で国連査察官だった。この自殺問題をきっかけに政府が情報を捏造し誇張したのかどうかを調査するハットン委員会が設置され、ブレア首相をはじめ、閣僚やBBC記者など多くの証人が喚問された。開戦前から戦争に反対するようなBBCの報道にいらだっていた政府が、BBC記者の不用意な発言に噛みついたとする意見もある。ハットン委員会の報告は2004年1月に発表される。

TUC主要労組の組合員数と書記長 (10万人以上組合)
名称・略称
組合員数
書記長
UNlSON 公務員組合 1,289,000 Dave Prentis
AMlCUS 製造科学金融組合 1,061,199 D. Simpson = R.Lyons
T&G (TGWU) 運輸一般労組 835,351 Tony Woodley
GMB 都市一般労組 703,970 KevinCurran
USDAW 商店流通労組 321,151 Bill Connor
PCS 公共サービス組合 281,923 Mark Serwotka
CWU 通信労組 266,067 Billy Hayes
NUT 全国教員組合 232,280 Doug McAvoy
NASUWT 男女教師組合 211,779 Eamonn O’Kane
GPMU マスコミ関連組合 170,279 Tony Dubbins
UNlFI 金融組合 147,607 Ed Sweeney
UCATT 建設関連組合 115,O07 George Brumwell
ATL 教師組合 110,083 Dr. M. Bousted
Prospect 専門技術者組合 105,480 Paul Noon
出 所: TUC (2003年1月1日現在)

年金制度の問題

 イギリスの企業年金制度が大きく揺れている。フランス系化学大手企業のローディア(Rhodia)英国工場で7月18日ファイナルサラリー年金を守るためにストライキが行われた。これは、イギリスの年金問題で初めてのストライキであった。8月15日と9月4日にも第2波、第3波の24時間ストが行われたが、その原因はローディア側が確定給付型のファイナルサラリー年金を新入社員から廃止すると発表したことにある。この紛争は、9月5日に既存の従業員に2012年までファイナルサラリーを保証することによって和解をみた。このように年金問題で実際にストライキに至るケースはまれであるが、今年のTUC大会でも大きく取り上げられ、イギリスの雇用者向け年金制度が大きな転換期を迎えていることは確かである(本誌前号参照)。
 イギリスの年金制度は、日本と同様、基礎年金と報酬比例部分の2階建てになっている。基礎年金は有業者に加入が強制され、無業者は任意加入である。そして、被用者に義務づけられる報酬比例部分については、給付水準が低い公的年金(国家第二年金)と、その適用を除外される形での私的年金がある。国家第二年金(かつてのSerps)は、低所得層向けに制度改革が進められてきており、それ以外の被用者については、適用除外としての私的年金に加入するよう80年代から政策誘導されている。このため、イギリスには、日本などの先進国が抱えるような公的年金基金問題はなく、むしろその解消策であった私的年金に問題が集中している。その私的年金は、従来確定給付型の企業年金だけが適格年金として公的年金の適用を除外されていたが、80年代のサッチャー改革(公共部門の縮小・民営化)のなかで、確定拠出型も認められるようになり、さらに個人年金も適用除外を受けられるようになって、急速に拡大した。
 しかし、2001年から続く株式市場の長期低迷を契機に、年金基金の運用環境が大幅に悪化し、大企業に一般的であった確定給付型の企業年金(ファイナルサラリー)の逆ざや現象が顕著となり、赤字倒産するファンドも出る事態となった。このため、近年ファイナルサラリー年金を新入社員から廃止したり、既存社員にも廃止を拡大する企業が相次いでいる。イギリスの雇用労働者にとって最も有利なファイナルサラリー年金が危機的状況にあり、その代替案は労働者にとって厳しい選択を迫るものとなっているのである。こうした状況のなかで、近年における年金制度に関する政策課題は、報酬比例部分における確定給付型年金から確定拠出型年金への移行を促進すること、受給額の抑制や退職年齢の引き上げ(年齢差別の禁止法案に関連)など年金支出の抑制、および所得格差の拡大に伴う年金生活者の最低保障体制の整備(10月に導入された年金クレジット制)などとなっている。
 また、確定拠出型へ移行するとしても、企業年金にせよ個人年金にせよ、それぞれの問題があり、長期的に安定した年金制度とは言えない事情があった。従来の企業年金は、被用者のみの年金であり、転職すると給付水準が低下して不利になる問題や、企業負担が大きく中小企業では普及し難い問題などがある。個人年金は、保険料が割高で、他の保険会社に移ると不利になる問題などがある。このため、労働党政府は、2001年4月から新たな私的年金としてステークホルダー年金を導入し、従来の私的年金が抱えていた問題点を解決するとともに、あらたな年金加入者の受け皿を提供しようとした。このステークホルダー年金は、確定拠出年金で、政府が最低基準を設定するものの、運営は民間の会社に委ねられる。加入者は一定の個人ファンドに掛け金を積み立て、その一部又は全部を使って退職時に民間の終身年金を購入する仕組みである。個人年金と同様に誰でも加入できるため企業の拠出義務はないが、手数料を従来の個人年金より安くしたり、運用面の安定性、使い勝手のよさなど、様々な工夫がなされている。とはいえ、これまでの加入実績は、期待したほど伸びていない。また、2003年末にかけて、株式市場が持ち直してきており、年金基金の従来の赤字額が半減しているという調査報告も出てきているので、労働者の年金問題は今だ流動的である。

最低賃金

 イギリス政府は、低賃金委員会(Low Pay Commission)の勧告に従い、最低賃金額の改訂を10月に実施した。内容は、22歳以上の成人に対する最賃額が4.2ポンド、18歳から21歳までの最賃額が3.6ポンドである。今回の最賃引上率は、平均賃上げ率(第3四半期は3.3%)の約2倍、インフレ率の2.5倍に相当する。
 イギリスの最低賃金制度は、産業別の賃金審議会方式による長い伝統をもっていたが、1993年にサッチャー政権が若年者の雇用対策などを理由に廃止してしまった。しかし、労働党政権が1997年に復帰して低賃金委員会を設置、その勧告により1999年4月から全国一律の最低賃金(若年者への例外あり)を実施した(成人3.6ポンド、若者3ポンド)。その効果は、若者を中心として200万人に及び、低所得者層に平均30%の賃上げをもたらしたとされる。サッチャー政権が残した負の遺産の一つである貧富の格差拡大に、一定の歯止めをかけたと評価された。当初、保守党や使用者側は、最低賃金制を導入すると、平均賃金を大幅に引き上げたり、雇用への深刻な影響が出るなどを理由に反対していたが、実施後そうした影響は全くみられなかった。このため、保守党も今ではたとえ政権を執ったとしても最賃制を廃止しないとしている。とはいえ、毎年の最賃額の改定には、労使の対立が続いている。
 今回の改訂にも、経営者側は国際競争や若者の失業に悪影響がでると懸念を表明しており、TUCは5ポンドへの引上げ要求と大きく懸け離れていると不満を表明している。さらにTUCのブレンダン・バーバー書記長は、改訂後も17万人の労働者が最賃違反のもとに置かれていると推定し、取締の強化を訴えている。また、最低賃金が支払われている場合でも、引上げ分の労働時間を削減したり、急激な能率向上を強いる経営者がいるため、最低賃金の意義が薄められているという指摘もある。TUCはまた、現行の最低賃金が適用除外としている16-17歳の労働者の賃金についても「賢明な水準で」最低賃金額を決めるべきだとしている。

学費値上げ問題

 イギリスの大学授業料は、現在一律に年間1,125ポンド(低所得者の優遇措置あり)となっている。しかしブレア政権は、「高等教育改革」の一貫として大幅な学費値上げ法案を提案し、TUCや全国学生連合(NUS)から激しい批判を浴びている。値上げ法案は、2006年から一律の授業料制度を廃止し、各大学が最高3,000ポンドを上限とする授業料を自由に設定できるようにする、支払いは卒業後15,000ポンド以上の収入を得るようになってから月々返済(一括払いも可)する、というもの。また、年間1,000ポンドの無償奨学金を復活させる。とはいえ法案が通れば、ほとんどの有名大学が上限一杯まで学費を値上げする模様である。この法案をめぐっては、NUSがデモや国会請願など様々な運動を展開し、保守党が逆に学費無料化を打ち出したり、労働党内の100人以上の反対があるなど、その成り行きが注目されている。政府は、労働党内の反対派を切り崩して、何とか2004年1月に法案を成立させようとしている。
 かつて英国の大学授業料は、出身地の地方当局から直接大学に支払われる奨学金方式のため、学生にとって実質無料であった。大学はこの奨学金以外に、留学生からの授業料、寄付金などで運営されてきた。しかし、この奨学金は国の補助金で賄われており、学生数の急激な増加が国の財政を圧迫するまでになっていた。このため、高等教育制度検討委員会は1997年、受益者負担の原則に立ち授業料制度の導入を勧告した。こうしてブレア政権は、1998年秋の入学者から1,000ポンド(当時)の授業料を徴収(支払い免除制度あり)するようになった。学生ローン制度があり、また支払いも就職後1万ポンドの年収を得られるようになってから返済する制度である。しかし、オックス・ブリッジなど有名大学などでは、政府による現行の授業料規制は、大学の国際競争力を弱めているなどとして、授業料の自由化を求めていた。すなわち、イギリスではトップ大学と1992年の高等教育法で大学になった旧ポリテクニックなどとを同列に扱っている、アメリカのエリート大学の高額授業料と財政的なレベルの高さ・教育研究への集中投資などに比べイギリスの研究者育成は後れをとっている、イギリスの若手教授の給料が低く頭脳流出が起きている、などといった点が指摘されている。また、EU外の外国人留学生は、文系の学生で年間8,000ポンド以上の学費を払っている(EU内からの学生は英国人学生と同じ)。イギリスの多くの大学が財政難のためEU外の留学生を競って受け入れ、質の低下とともにその数が平均で2割を超えているともいわれている。こうした背景を考えると、これは単なる授業料値上げの問題ではなく、大学教育のあり方、国の人材育成、教育研究の国際競争といった問題にも関連していると言える。(木暮雅夫)