全労連 TOPへ戻る BACK
国旗 世界の労働者のたたかい
スイス
2004

 2003年、スイスは政治的に右傾化を強めた。10月19日の国民議会(下院)の選挙で、難民・移民の規制強化を年来の主張とする右翼政党の国民党(SVP)が第1党に進出した。国民議会の200議席の勢力分布は次のようになった。国民党55、社民党(SP)52、自民党(FDP)36、キリスト教民主党(SCV)28、緑の党(Gr?ne)13、その他諸派16。前回99年選挙の場合との増減では国民党+11、社民党+1、自由党とキリスト教民主党がそれぞれ−7、緑の党+4となり、中道2党の敗北に代わっての国民党の圧勝であった。
 国民党の進出は連邦政府の構成に異変をもたらした。この国の政府の構成は独自的である。7人の閣僚によってそれは構成されるが、その選出は上下両院の合同集会で各党の推す候補者についての投票で行われる。ところでこの選出にはこの半世紀、不動の構成比が保たれてきていた。主要政党4党のあいだで社民2、中道2党各2、国民党1の割合が慣例化していたのである。「魔法の公式」(Zauberformel)とそれは呼ばれた。10月選挙で第1党となった国民党は、この「魔法の公式」に挑戦して閣僚ポスト2を要求し、同党の事実上の最高指導者でチューリヒ支部長のクリストフ・ブロッハーを新たに候補者として加えた。合同集会での選挙で、ブロッハーはキリスト教民主党の現職閣僚でもあったメツラー女史を3回目の投票で121対116の僅差で破った。「魔法の公式」は右に傾くことになった。1959年以来の半世紀ぶりの異変であり、また現職閣僚の落選は131年ぶりだと言われている。さらにメツラーの落選によって、新政府の女性閣僚は社民党のカルミー・レイひとりとなった。
 「少ない税金、少ない法律、少ない外国人、少ない外からの干渉」。国民党のスローガンであるが、総選挙で同党はアルカイダの指導者オサマ・ビンラディンの写真をポスターに使い、「移民や難民に甘い」他党を攻撃するデマゴギーを展開した。長い経済の低迷や失業増などによる国民の不安感に、国民党は移民を短絡的に犯罪者に仕立てて訴えかけ、議席を伸ばした。
 2003年のスイスで、いま1つ注意されるのは軍縮である。5月18日の国民投票で動員兵力の大幅削減や市民防衛制度の改革が承認された。先行して国会を通っていた関係法修正法を追認したのである。スイスには常備軍はない。平時は約3千人強の将校・下士官が訓練にあたっているだけであり、有事には20−42歳の男性の民兵としての動員体制が組まれる。修正案は現行約36万人の動員数を22万に削減し、またそれに合わせて退役年齢も30歳代に下げられる。市民防衛制度に関しては、核シェルターの設置義務が緩和され、新築家屋の核シェルター設置義務の規定は廃止される。さらに軍の組織編成も大幅に改変された。「この軍制改革はスイス連邦国の歴史上最も徹底した改革の1つ」と言われている。
 03年のスイス経済は景気低迷のなかに推移した。他のヨーロッパ諸国に比べれば低いものの、失業も近年にない高率を続け、秋には4%を記録するまでになった。社会保障改悪の動きはこの国も例外としない。国民の所得格差の拡大傾向が、政治の右旋回の土壌になっているとの憂慮を強めている。

社会保障分野でも前進は可能 ― スイス労働総同盟(SGB)議長の年頭記者会見

 レヒシュタイナー議長は年頭恒例の記者会見で、当面の組合運動の成果と課題について次の諸点を指摘した。
 まず前年2002年の大きな成果としては2つが挙げられた。1つはSGBが発議した「電力市場法」(EMG)反対の国民投票(9月)で、同法を否決に追いこみ、90年代以降の公企業の相次ぐ自由化・民営化に歯止めを掛けたこと、いま1つは傘下の建設・工業労組(GBI)が、55年ぶりと言われる全国ストを組織・実施して、建設労働者の「60歳(早期)退職年金」を勝ち取ったこと(本報告第9集参照)。第1点に関連しては、同じ記者会見でチンメルマン書記長は次のように述べた。「2002年9月22日に、スイス人はただ電力供給について投票したのではなかった。公共サービス全般の自由化とそれによってもたらされる経験をも問題にしたのであった。組合にとって市民の多数がこれ以上の市場開放を望んでいないことは明らかである。政治はこのことを配慮しなければならない。われわれは郵便、鉄道、スイスコムの新たな自由化に、さらにはガスと水道での同様の意図に、それ相応に立ち向かうだろう」と。そして「(早期)退職年金」の建設労働者の獲得については、それは「社会保障の分野でふたたび進歩が可能であることを示す」と議長は強調した。
 さて2003年の運動課題について、議長は経済状態、とくに雇用状態の大幅悪化を見通し、景気対策の緊急性を訴え、輸出・観光関連産業の振興と都市住宅政策の拡充を雇用効果も大きいとして要求する。さらに重点課題としては次の2点が掲げられた。1つは職業訓練ポストの不足、とくに若年者のそれの解消であり、1つは連邦政府が実施しようとしている第11次老齢・遺族保険の改悪への国民投票の準備であると(SGBの国民投票への取組みについては後述)。

「歴史が書かれた、そしてスイスはその一部であった」― イラク戦争に反対するベルン4万人のデモ

 差し迫ったイラク戦争を阻止しようとして全世界で1,150万人が参加した2月15日の一斉行動は、スイスも例外としなかった。首都ベルンでは主催者発表で4万から5万に及ぶデモが展開された。1新聞の報道には次のようにある。「土曜日(2月15日−引用者)に歴史が書かれた。そしてスイスはその一部であった。120の組織が『イラク戦争反対―石油のために血を流すな』とデモを呼びかけた。それはスイスでの最大のデモの1つとなった。人びとが自分自身の事以外にはますます関わりたがらないこの時勢に」(新チューリヒ新聞)。
 デモは超党派の委員会「戦争に反対する同盟」によって組織された。参加120組織のうちには、緑の党、グローバル化批判の組織「アタック」、「グループ軍隊のないスイス」などと並んで、「建設・工業労組」、「公共職員労組」、「商工サービス労組」が名を連ねていた。「全国各地からの老若男女、多くの国の人たち、全政治陣営の代表者、分別盛りの婦人、めかした紳士、ひげの老ヒッピー、髪を染めた若者――1個のマルチ文化スイスが、平和をデモするために連邦広場と周辺の路地いっぱいに集まった」。メディアはこのように伝えた。
 同じ2月15日、スイスではサン・ガレンでも3千人のデモがあった。このデモでは、その先頭部分が、イラクでの戦争は逆行であることを示すために、後ろ向きで行進したと言われる。
 3月20日の開戦に前後して、反戦行動はこの国でも繰り返し展開された。とくに高校生の参加が目立った。2月21日に連邦政府は、国連の信託のないアメリカ空軍の領空通過の禁止を決定した。また3月20日には国連の信託のない米英軍のイラク侵攻に遺憾声明を発表した。

03年協約運動から

 「賃金の秋」と言われるように、スイスの賃金協約ラウンドは毎年下期に始まるのが通例である。「スイス労働総同盟」(SGB)は8月13日、来期(04年)に向けての賃上げの基本方針を発表した。平均2−3%の賃上げと連邦政府の積極的な失業対策が要求された。
 レヒシュタイナー総同盟議長は、この要求幅は節度をもったものであり経済事情にも適合していると述べた。議長は要求の根拠として健康保険や年金保険の負担増と労働生産性の上昇を挙げた。
 ところで総同盟傘下の各組合の具体的要求では、部門別の差があり、また要求も多様である。たとえば公務は要求1−2%であるが、それを90年代における民間給与からの遅れで根拠づけていた。しかし同部門の当面の重要課題とされたのは人員削減の阻止であり、また能率給部分の拡大による格差拡大の抑制であった。ホテル、レストラン、小売りでは2−3%が要求されたが、同時にこの部門では最低賃金4000フラン(1フラン=85円強)が共通目標として掲げられた。さらに木工・建設では2%、化学・製薬部門では好調企業が多いとして2.5−3.5%が、一方機械部門では物価上昇率と生産性上昇率のカバーが要求された。

◆賃上げの状況
 連邦統計局の予測では04年の物価上昇率は0.6%である。そして年内の中間集計であるが、賃上げ妥結率の平均は0.9%であった。したがってこの率は物価上昇率はカバーする。しかし健康保険の負担増などを考えれば、賃上げはそれを補填するものではないとされる。
 總同盟の平均2−3%の要求ではあったが、各組合の実際の協約ラウンドは、總選挙がはさまり、しかも国民党が第1党に進出する経過があったりして、結果的には平穏に推移した。
 妥結額で平均以上のそれを期待できるのは、テレコム、情報、エネルギー、化学・製薬の各部門であった。小売業も平均を若干上回る賃上げとなった。一方、建設部門は前年の60歳年金の獲得にともなう賃上げ分もあり、今期は物価上昇分の調整にとどまったし、運輸部門、印刷・グラフィック部門などは市場の低迷を理由にゼロ・ラウンドを強いられた。銀行は1%、国鉄が500フランの1回払いと0.9%、郵便は1回払い850フランと0.3%、そして連邦公務員は0.8%であった。
 ところで他のヨーロッパ諸国と異なり、近年のスイスの賃金は部門レベルでなく企業レベルで交渉・決定される傾向にあり、また決定にあたって個人の業績の比重が高まっていると言われる。部門別の広域協約が後退するのに比例して部門間のアップ率の格差が拡がっているように思われる。

年金改悪を国民投票にかけよ ― 組合はその発議の先頭に

 AHV(老齢・遺族保険)の改悪が政治の日程にのぼっていることは本報告第9集でも述べた。国会審議中の第11次AHV改定法は、9月24日の両院協議会で僅かな修正を経て可決成立した。改悪は次の諸点に及んだ。(1)年金財政の「健全化」のために「再建保険料」を設定できるようにする。(2)年金からも保険料を徴収する――給付削減。(3)早期年金を女性について限定つきで認める。(4)子供のいない女性にたいする寡婦年金の廃止。(5)子供をもつ寡婦の年金切り下げ。(6)女性の通常の年金受給年齢を65歳とする。(7)年金調整をこれまでの2年ごとから3年ごととし、さらにこれまでの賃金・物価との調整(「混合指数」の使用)を物価とのみに変更。(8)年金受給年齢を2015年までに66歳、2025年までに67歳へ段階的引き上げ。

◆「年金アラーム」
 年金改悪にたいして、組合は終始反対し、抗議行動を続けてきた。改悪法成立の前後にかけてそれは次のように展開されてきた。
 03年メーデーを特徴づけたのは「イラク戦争反対」と「年金改悪反対」であった。スイスのメーデーは各州都で並行して開かれ、組合指導者はそれに分担参加するのが通例であるが、指導者挨拶に共通したのは社会保障改悪、とくに年金改悪への批判・抗議であった。AHVは「社会(福祉)国家の心臓」であり、これが壊されてはならない(ベルン集会でレヒシュタイナー議長)、AHV年金をいわゆる混合指数に代えて物価上昇率だけで調整するのは言語道断、それでは賃金に遅れる(ヴィンタトゥール集会でガイヤール書記長)、「スイスはますます不平等になる」(チューリヒ集会でペドリナ建設・工業労組委員長)。
 国会審議が急を告げる9月10日、総同盟は「年金アラーム」行動を開始した。全国40ヵ所で警鐘を鳴らす活動に入った。ビラ・広報活動、デモ、半分に割ったチビパン配布などがなされた。ベルンでは約300人の組合員が街頭に出て、交叉点を約20分封鎖し、本物の警鐘を鳴らして宣伝行動を展開した。9月12日には「全国抗議デー」が組まれ、ベルンでは年金者デモがあり、これには元閣僚のルート・ドライフス女史なども参加し、後継閣僚を批判した。さらに20日には全国デモが実施された。

◆48時間で8万1千名の署名 ― 国民投票へ
 9月24日にAHV改悪は国会で可決された。この国独自の直接民主主義を利用した反対行動が始まった。10月5日に国会で敗れた社会民主党がAHV改悪を国民投票に問うことを決定した。次いで10月7日に労働総同盟も同じ方針を固めた。11月20日、総同盟は組合員約1000名の参加で200ヵ所の街頭で国民投票のための署名活動を開始した。同日の夕方16時から22日16時までの48時間にこの活動に応じた署名は8万1千名、全体では10万1,698名に達した。記録破りの早い署名集めが実現した。組合はそれを次のように説明した。自ら進んでの署名者が多かったこと、情報が浸透しており説得活動の必要が少なかったことと。AHV改悪法の場合、国民投票の発議は5万名の署名を得て成立することになる。国民投票は年を越して実施される。

工場閉鎖計画に抗議スト ― 州政府の仲介で解雇を阻止

 03年のスイスはストライキが目立った。「ストライキがスイスで日常化」との誇大報道も現れた。2月の携帯電話会社オレンジの12日間にわたった各地の時限ストや、4月の郵便の集配局削減に反対する2時間ストなどがその例であるが、ストライキはリストラ・人減らしを理由とするものが大部分であった。ここでとりあげる事例は、それに地域労働市場と産業空洞化の問題がからんでいた。
 11月18日、ベルンの北西部の町リス(Lyss)の台所用品製造工場ツィリス(Zyliss)でストライキが起こった。従業員80人の工場で、ストは「建設・工業労組」(GBI)と「商工・サービス労組」(SMUV)の支援を受けて、工場の閉鎖計画の撤回を要求するものであった。会社側は遅くとも2005年中ごろまでに生産を中止し移転する計画を伝えていた。
 これより先10月末に、労働組合はチューリヒにあるツィリスの親会社にたいして、1万5千名の署名で閉鎖を止めるよう陳情を行った。会社は再検討を約束していた。
 ストによって現場は硬化した。会社側はストを中止しない限り交渉を継続しないと言明した。ところが紛争はベルン州経済省の仲介により一転して解決に向かった。11月27日にストは中止された。州当局は地域の雇用維持を最重点に粘り強い仲介交渉を重ね、次の解決策を手にしたのであった。新設工場を誘致し、そこに現従業員の職場を確保するというものであった。新工場は飲料水の瓶のキャップを生産する工場で、ツィリスの立地を受け継ぎ2004年末の操業を予定。過度的には従業員はツィリスのためにも働くとされた。
 一方、ツィリスの工場閉鎖は確定した。同社は生産をアジア地域に移す計画だと言われている。

「人口の半分を差別する社会は、公正でもなければ民主的でもない」 ― 国民党ブロッハーの入閣に抗議したベルンの大デモ

 10月の総選挙で第1党となった右翼政党・国民党(SVP)の事実上の指導者クリストフ・ブロッハーが、国会の両院集会の多数によって連邦政府の閣僚に選出されたこと、これによって1959年以来続いた政府閣僚7人の構成比、いわゆる「魔法の公式」が崩れたことは前述した。そしてこの「魔法の公式」の崩壊が閣僚7人中女性はただ1人の結果を招いたこともすでに見た。この政変にたいし市民の側の抗議行動が起こった。
 「スイス全土からの、少なくみても1万2千人の女性と男性が、土曜日の午後(12月13日―引用者)ベルンで、『連邦政府の家父長たち』についての怒りをあらわにした。すべての陣営の失望者たちが、同権と母性保険のために、そして第11次AHV改革に反対して連帯した」。メディアはこのように報道した。
 国民党は移民・難民の規制強化を排外主義的に訴え、02年の国連加盟に反対したし、EU加盟も拒否する立場をとる。母性保険は家庭内にある母親を差別するものとして反対であるし、また障害者保険にたいしては制度の濫用があるとの攻撃を繰り返している。年金改悪はそれを推進する側に立っていた。12月13日のデモは、このような国民党の国政への進出に対する危惧・抗議の表明でもあった。
 デモには主催者側の発表で1万5千人、警察発表で1万2千人が参加した。呼びかけたのは30の女性組織、社民党、緑の党、労働組合などであった。笛が鳴り響き、赤い風船が溢れた。「われわれは怒っている。もううんざりだ」、「ブロッハー、ノー・サンキュー」、「女性とハート(心)を―メルツとブロッハーではなく」などの横断幕が続いた。
 「12月10日に政治的スイスは歴史的チャンスを逃した」と女性組織の代表は述べた。同日の閣僚選挙では3人の女性閣僚が可能であり、政府内の同権が現実となるチャンスであった、しかし、結果は現職女性閣僚も再選されず、「男性優位」が一段と強まった、と。また社民党の女性議員は、「12月10日に右派がまかり通った。右派ポピュリズムと女性敵視の兄妹がインストールされた」と述べた。プロテスタント女性同盟の会長は超党派女性運動へのチャンスをこの大デモは示したと訴えた。(島崎晴哉)