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国旗 世界の労働者のたたかい
フランス
2003

2002年度の特徴

 2002年は引き続き、週35時間制に移行していない企業での協約の締結など、これの実施をめざす行動が着々と行われた。その後、4月―5月の大統領選挙で進出した右翼勢力を第2回投票で当選させないための、労働者を先頭とする大動員のたたかいが組まれ、右翼の当選を阻止した。続く国民議会選挙の結果、35時間制を推進してきた勢力は野に転落して与野党が逆転した。新政府が成立するやいなや、政府と財界は社共両党と労働者が数年かかって実現にこぎつけた週35時間法、さらに解雇規制法を覆し、法案を改正してしまった。新政府は、あらゆる面で労働者への攻撃を強めた。

経済状況

 政府の統計研究所(DARES)発表によると、第2四半期における新しい雇用の創出は緩慢で、賃金解決のレベルも低下した。この報告の主要な点は、低額の賃金妥結と購買力のわずかな引き上げによって、新たな状況が生まれたことである。
 全体として雇用は安定を保っており、それまでの12ヵ月より1%増大した。月額賃金の指標は2002年第二四半期より0.6%上昇、これは第一四半期の0.8%よりわずかに少なかった。それまでの12ヵ月に対しては、2.5%の増大であった。ブルーカラー労働者の一時間あたりの基本賃金(SMIC引き上げの計算に使われる)のこの四半期における上昇は、前年同期の1.4%に比べて0.7%であった。購買力の増大は2.1%で、年間の増大3.7%は変化していない。この増大のうち、1%は時間短縮と関連する支払いのためである。
 月末における10人以上の企業での平均週労働時間は35.7時間で、第一四半期に対して0.3%短縮された。6月末には、10人以上の企業での常用労働者の78%が35時間以下の労働であるが、これは1年前には67.2%であった。

大統領と国民議会の選挙

 大統領選挙は4月20日および5月5日の2回投票で行われ、大統領は保守、内閣は左翼連合が担当した5年間の成果が問われた。大統領選の第一回投票で、現職保守のジャック・シラク候補(共和国連合)が一位、反共主義を唱え、移民排斥、死刑復活を主張する極右、国民戦線のジャンマリ・ルペン候補が二位になり、決選投票に持ち込まれ、フランスばかりでなく、EU建設途上の全ヨーロッパを戦慄させた。首相リオネル・ジョスパン候補はルペン候補をわずかに下回り、1969年以来33年ぶりに社会党候補が大統領選の決選投票に進出できなかった。決選(第2回)投票(5月5日)の結果、共和国連合のジャック・シラクが、極右、国民戦線の党首ルペンに大差をつけて再選された。社会党のジョスパン首相は6日に正式に辞任し、首相の指名権をもつシラク大統領は保守、自由民主党のジャンーピエール・ラファラン上院議員を新首相に指名した。
 大統領選の第1回投票で決選投票進出を決めた極右、国民戦線のルペン党首が掲げる移民排斥に対して、4月22日の抗議行動は都市と地方を巻き込み、約10万人が参加した。この極右反対デモは連日行われ、決戦投票まで1週間となった4月25日には全国で35万人が参加、4月27日にはさらに拡大し、全国40あまりの都市で数十万人、パリのデモも最近にない規模の10万人に膨れ上がった。さらに芸術家103団体の集会が行われ、人種差別反対、民主主義擁護を求める国民の意識と運動は高揚した。同時に、欧州各国の首脳が相次いで先頭にたって極右阻止のたたかいを訴えた。
 労働総同盟(CGT)は第一回投票後、民主主義、自由、および労働者の権利と社会的保障が重大な脅威のもとにあるとして、反極右の声を全国百数十万人のメーデー行進に結集した。CGTは第二回投票後に声明した。「メーデーへのかつてない結集は、極右による排外主義、人種差別、ネオファシズムへの拒絶を意味した。このたたかいは続いていく。メーデーはまた、幾十万の労働者にとって、過去および将来の政府および雇用者に社会的攻撃を許さない決意表明の機会でもあった。
 この情勢下で、労働者と労働組合の声に耳を傾け、失業や不安定に直面しての保障の必要に応え、退職年金制度、保健、社会保障の将来を保障し、公務員に満足のいく制度を約束し、賃金、年金、社会給付を改善し、新たに民主主義を推進し、ヨーロッパに連帯を築く必要がある。」
 ジョスパン政権の5年間に、週35時間制への短縮、低所得者向け医療保険の新設、青年失業対策事業など、新しい施策が実行されたが、左翼政党本来の解決策を実行する政治を欠く中で、政治の手が届かず、不満の捌け口を右翼に求めた人が多かった。
 この時期、極右の伸長はフランスだけでなく全欧州で中道右派政権を支えるようになった。ナチス賛美のハイダー党首率いるオーストリア自由党が1999年に政権参加し、欧州の価値観を否定するものと厳しい批判を浴びた。
 イタリアでは2001年にファシストの後継政党とされる国民同盟がベルルスコーニ政権に参加した。この流れはデンマークの人民党、ポルトガルの民衆党と続き、2002年5月15日のオランダの総選挙では党首を暗殺された極右政党LPFが第2党に進出した。二度の大戦を経たヨーロッパで、労働組合の負う責任は重い。

国民議会選挙

 6月には国民議会の選挙が行われ、リオネル・ジョスパンの社会党政権に代わって、シラク大統領の中道右派連立政権が大多数の議席を握った。新首相ジャンーピエール・ラファランは、第1回投票で社会党が敗退してジョスパンが辞任した後に就任した。ジョスパンの16.2%に対して極右のジャンマリ・ルペンは16.9%であった。ラファランは自由市場信奉の自由民主党員であり、この党は国民議会選挙に先立ってシラクが作った新たな大統領多数派連合に組み入れられた。シラクは1997年来続いた、「社会党政府を率いる保守大統領」といういわゆるコアビタシオンを避けようとした。これらの政党は577議席中399議席を獲得した。共産党の指導者ロベール・ユおよび過去5年間主要な改革に携わり、週35時間労働制を立案したマルチヌ・オーブリが落選した。
 重大な問題は年金改革である。フランスの源泉徴収方式は人口の圧力で崩壊が始まっており、また高水準の失業は拠出水準を低下させている。いずれにせよ、アメリカ型年金基金モデルは抗議の声を呼びそうである。ラファランの当面する他の課題は、労働力の26%を占める公務員の制度改革、保健経費の削減、EU加盟国として急速に35時間制を導入し、より弾力的な実施条件を生み出すことである。

CGT執行局声明(2002年6月18日)

 「選挙は以上のような結果をもたらした。しかし極右の危険に反対して2002年5月1-5日には格別の動員が行われたことは特筆すべきである。左翼は、展望をもちながら、社会的期待に応えられなかった。それゆえ、要求の面で労働組合が参加していくことはきわめて重要である。労働組合のたたかいは、ふたたび確信を与えることができる。これはヨーロッパでもフランスでも、民主的動員を再建していくための大きな要素である。
 政府の色がどうであれ、自主的な労働組合の行動を継続する中において、要求行動は依然として、CGTの要求獲得上の羅針盤である。経団連(Medef)は、SMIC(最賃)、労働の弾力化、35時間制、失業補償、年金に関してこの情勢を利用しようとしている。現在大会を準備しているCGTは、すべての労働組合員が、自らにかかわる決定に参加し、要求の選択と労働組合運動の戦略において、完全な主人公になるよう希望する。」

新政府、政労使の話合いを開始

 ジャック・シラク大統領の就任後、新首相ラファランと労働相フランソワ・フィヨンは前政府の期間から途絶えていた政労使の話合いを再開したいと通知した。経営者団体や労働組合は、週35時間制の弾力化、年金改革、最低賃金の施行規則の変更等、多くの問題について、6月9日と16日の総選挙後、新議会の発足を待って、話合いの再開を歓迎し、新しい法令の起草に参加したい旨を表明した。

<新政府の方針>
 新任の労働相フランソワ・フィヨンは、方針の主要点をまとめ、労使諸団体に話合うべき一連の問題を通知した。雇用問題では、とくに青年の雇用を重視した。
 新政府の計画の一部として、7月10日の閣僚会議を経て、議会は8月1日青年向けに、新タイプの雇用契約導入のための法案を採択した。
 これは卒業資格(バカロレア)をもたない16〜22歳を対象にしたもので、常用かパートかを問わずかつ期限の制約をつけていない。これらの青年を雇用した場合、どの規模の企業も2年間にわたる社会保障の保険料納入を免除され、2年を過ぎると50%に引き下げられる。このための財政援助に関しては政令が出される。2004年度に、この種の青年は約250,000人になると見込まれている。このための企業の負担金はおおよそ5億ユーロである。雇い主はこれらの青年に最低賃金を支払う。
 次の緊急問題はSMICの再評価で、これは2002年7月1日までに終了させなければならない。労働組合は追加の引き上げを要求したが、7月1日に実施される2.4%の引き上げは、指標方式のもとで可能な最低限の引き上げである。
 議題に上っていた次の問題は、は年金改革、政労使の話合いのルール改革、職業訓練の条件、35時間制の弾力化である。労働相は、言い訳だけの話合いはしたくない、対話の再開がそれぞれにとって最良の解決策になるようにすることだと強調した。
 フランス民主労働総同盟(CFDT)書記長、CGTとCFDT加盟諸労組は、代表制に関するルールおよび労使協定の有効性について討論を行い、2003年はじめにはある程度の結論にこぎつけたいと希望した。経営者の提起した議題は、週35時間法の厳正な実施をいかに弾力化するかに焦点をおいていた。この点で経営者団体(Medef)会長は、新政府の援護があるものと考え、「週35時間制のルールの緩和は、新議会の多数派にとって焦点の一つであり、われわれは一刻も早い新たなイニシアチブを期待している」と述べた。
 他の問題についての予定は、職業訓練問題を検討してから秋頃に取り上げる。
 最後に、年金制度の徹底的見直しは政府が夏までに若干の提案を出すとしているので、2003年に入って始まる予定である。

失業保険掛け金の引き上げ

 UNEDIC(失業保険)基金の債務を減らすため、失業保険掛け金を一時的に引き上げることで労使が合意した。2002年3月の計算で赤字が24億ユーロになり、これが年末には32億ユーロになるという。掛け金引き上げの決定が、経営者側のMedef、CGPMEUPAと、労働組合のCFDT、フランス・キリスト教労働者同盟(CFTC)、幹部総同盟(CFE-CGC)の参加する臨時会議(6月19日)で行われた。
 6時間の討論で合意に達し、失業保険掛け金を2002年7月1日から0.2%引き上げ、同年12月31日まで続ける。0.2%引き上げは労使折半で、使用者の掛け金は3.7%に、労働者は手取りの2.1%となる。この他に決められたのが、1)失業給付を2002年7月1日から1.5%引き上げる、2)高齢者の失業給付を引き下げる、3)劇場や演芸部門の労使の掛け金はしばらくのあいだ2倍にする、である。
 労働組合のCGTと「労働者の力」(FO)は調印せず、新措置の受け入れを拒否した。経営者団体UPAは掛け金引き上げを受け入れがたいとし、CGTはこの措置を、「失業者にあまりにも負担をかける」と批判した。

35時間改悪の法案を閣議決定

 6月の総選挙で誕生したラファラン保守内閣は9月18日、週35時間制ノン「緩和」法案を閣議決定し、関連する行政命令とあわせて残業時間の上限延長や35時間制実施企業への補助金廃止をはかることを決めた。35時間制を成立、施行させた社会党、仏共産党など前政権与党、労働組合は「35時間法を骨抜きにし、実質的に以前の39時間制に戻す改悪である」と厳しく批判した。
 労働総同盟(CGT)は、同日、「真の進歩を示す35時間制をつぶしてはならない」として、「制度緩和などというものではなく、労働時間の延長につながる」と声明を発表し、35時間制改悪反対と法定最低賃金引き上げを国会に求める運動を呼びかけた。35時間制は総則を定めた第一法成立(1998年6月)以来、労使協約の締結が急速にすすみ、労働者全体の約60%に広がっている。マスコミ(ルモンド9月18日付)も「860万の労働者に影響する」と憂慮の声を表明した。
 国民議会は12月19日、週35時間法の「緩和」を図る新法を可決した。新法はフィヨン労働相の名前を取ってフィヨン法と呼ばれる。新法は旧35時間法の「法定労働時間を週平均35時間または年間1、600時間とする」という規定から「35時間」についての言及を削除して、変形労働制の導入を容認している。また法で認められている年間残業時間の上限を130時間から180時間に拡大した。

解雇規制法の変更

 労働相フランソワ・フィヨンは9月半ば、経済状況を理由とする解雇の条項を議会が変更するよう提案した。さらに、最近の解雇法を改革する計画を提起した。このなかには、7条項の10月25日から18ヵ月にわたっての停止が含まれている。
 2002年2月から施行された社会(労使関係)近代化法には、経済的理由による解雇に関連した一連の条項が含まれている。労働大臣フィヨンは2002年9月にこの法律の変更を考えていると宣言し、ついで全国・地域レベルで調印した協約すべてについて労使の意見を聞くことにした。彼は解雇に関連する条項について交渉しなおすことを要求。これらの協約が代表的労働組合の多数によって調印されれば、2年間にわたって法律から外すことができる。同時に、政府は労使に対し訓練に関連する問題を検討し再交渉するよう要請した。
 社会近代化法のなかの解雇関連条項で中止されるものは、次のとおりである。

  • 解雇に関する情報と協議(労働法第4巻)および「社会的緩和」措置(労働法第3巻)に関する情報と協議の間に差異があるため、またリストラの場合、影響調査を経営者が計画しなければならないため、解雇の手続きを延長するという条項。
  • 職業的技能を余剰人員の規模と結びつけている条項。

 これらの提案を含む法案は、11月に閣僚評議会で採択した後、12月初めに議会に上程されることになった。すでに準備が整っている解雇の手続きは影響を受けない。
 解雇に関する手続きを決めるために、部門間の交渉に復帰することはありそうもない。Medefは、これら条項の単なる中止ではなく、取り消しを希望しており、この面での提案を組合が受け入れるかどうかは疑問であった。これらの条項を導入する前に協議がなかったことを非難している組合としては、法案に対する憂慮を表明し、後退的と思われる問題についての交渉は拒否してきた。
 CGTはコミュニケを発表し、社会近代化法はたしかに改正しなければならないとしても、重要なのは次の観点であると指摘している。

  • 経済的理由による解雇をいっそう厳しく制限すること
  • 労働契約を永続させること
  • 雇用にかかわる管理の選択について介入する労働者とその代表の権利。
  • 経済的解雇の手続きに結びつくいかなる保障も得られない失業した労働者―もっとも人数が多いーのための保障を強化すること。

ミシュラン社の整理解雇に違法判決

 フランス最大のタイヤ・メーカー、ミシュラン社が1999年から行ったリストラのうち、地方の自転車タイヤ工場の閉鎖について、仏北部ソワソン市の労働裁判所は2月8日、違法判決を言い渡し、訴えを起こした162人の元社員に総額約1,000万ユーロの損害賠償を支払うよう会社側に命じた。
 ミシュラン社は当時グループ全体で収益を増やしながら、欧州全体で約7,500人に整理解雇を発表。閉鎖されたソワソン市近郊ウォルベ工場の労働者が訴えを起こした。
 判決は「整理解雇は企業の競争力を救済しなければならない場合にのみ適法である。競争力や収益の拡大を図るものは正当化されない」とし、「当時フランスの自転車市場は停滞の度を増していたが、ウォルベ工場は生産性向上の努力によって収益性を維持していた。同工場の収支不均衡は、もっぱらミシュラン・グループの財務的必要性によるものだった」と経営分析した。工場閉鎖は「現実的で。深刻な理由にもとづいているとは認められない」と、解雇規制法に反していると判定した。賠償金は一人あたり35,000-106,000ユーロ。労働者は改めて再雇用を会社に要求した。
 ミシュラン本社工場のCGT書記長は「フランスの労働者を犠牲にしてロシア、東欧に工場移転している中で重要な判決だ」と述べている。

マークス&スペンサーを解雇された労働者の選択

 マークス&スペンサー労働者で、提供されたギャレリー・ラファイエット・グループ店舗の雇用を受け入れたのはわずか17%で、残りの者は解雇一括案を選択した。
 フランスのM&Sは最終的に2001年12月31日に閉鎖された。労使の合意した計画に従って、労働者はこのグループの店舗において代替えの雇用を提供されることになった。この案を考える期間として、ほとんどの労働者はこの案について考えるよう、1ヵ月の猶予を与えられた。結局、元従業員1,516人のうち254人は、提供された代替えの職場を受け入れ、残りの者は、その代わりに解雇一括案のほうを選択した。再配置を受け入れた従業員の80%はこの店舗での勤続が5年以内であり、その半分は勤続が2年以内であった。フランス民主労働総同盟(CFDT)は代替えの仕事を広範に拒否した理由をこう指摘している。一つは提供された仕事の性質で、ほとんどは賃金等級と熟練度が前の職場より低く、たとえ労使計画に従って賃金レベルが3年間維持されたところで、魅力がないことである。もう一つは、代替えの仕事に過ぎないという店のプロフィールは魅力がないことである。

公務員の早期退職は漸次廃止

 10月31日、公務大臣は、公務員の早期退職計画を2003年1月から段階的に解消していくと宣言した。現在、公務員は37.5年勤務すると退職の資格を得るが、他の職業では40年である。
 公務員労働組合はこの発表に憤激した。労働組合は、早期退職の条件を他の不利な条件に揃えようとする一連の計画の第一弾であると考えた。この措置によって、労働者の状態は、2001年12月31日に「アルプ」制度が段階的に廃止された民間部門と並ぶことになった。アルプが最初に実施されたのは1996年であり、その基礎になった協定は、高齢者の早期退職を奨励し、その後に青年労働者を入れようというものであった。

ヒューレット・パッカード・フランスの労働組合が敗訴

 IBMとヒューレット・パッカード・フランス(HP)の労働組合は、業績に基づく労働者の格付け制度の変更を要求してきた。両者は4月15日、これは余剰人員を選び出すための隠れた格付け方法であると声明を発表した。
 この格付けはHPでは、最低を「PRB1」、最高を「PRB5」とする。経営方針はいっそうひどくなり、各生産単位には、PRB1の5%が押しつけられ、この中で1部の労働者は解雇で脅かされた。
 しかしグルノーブルの高等裁判所は5月23日、この言い分には根拠がないと主張し、裁判費用を支払うよう組合に命じた。この制度がこれまで一連の解雇に影響したとの組合の主張に対し、その根拠は証明されなかった。裁判官は、この制度は労働者の賃金を改善するために運用されているとするHP社の主張を支持した。
  この会社フランスでは5,000人を雇っており、1981年以来この制度が運用されている。1999年まで組合はこれを受け入れてきたが、カーリー・シモンが同社中央役員になってからは、その政策の一環として、グルノーブル工場の2,500人のうち125人を排除する意図をもっていると断言している

「欧州社会フォーラム」への参加

 欧州社会フォーラムが、11月6-10日、フィレンツェ(イタリア)で開催され、「自由主義とグローバリゼーション」、「権利、市民、民主主義」をテーマにしての18の会議、143の討論会、250のワークショップに60,000人が参加した。集会が終わった土曜日の午後から、多くの青年も参加した50万人のイラク戦争反対のデモが行われた。
 「労働組合運動は社会的運動の不可欠の一部をなすが、フィレンツェのフォーラムはこの種のはじめての会合であり、ヨーロッパ労働組合運動に大きな影響をもたらすものであった」(CGT代表団ヴェロネーズ)。この第2回会議は、2003年11月12-16日にパリのサンドニで予定されている。
 なお、世界社会フォーラムは、世界各地の大企業首脳ら2,500人を集めたニューヨークでの世界経済フォーラム(1月31日〜2月4日)と平行して開かれたもの。2001年、2002年はともにブラジルのポルトアレグレで行われ、地域ごとに開こうとの決定を受けて開かれたのが、フィレンツェでのヨーロッパ社会フォーラムである。2002年の世界フォーラムは、150カ国、50,000人の参加で開かれた。大企業優先の新自由主義的「グローバル化」に反対し、「別の世界の実現は可能だ」と主張した集会である。
 フランスの社会団体ATTAC France(市民を援助するために金融取引への課税を求める協会)は、各地の支部とともに積極的に参加した。1989年6月の結成で、労働組合ではなく、社会団体として、資本主義のグローバリゼーションに対決する国際主義的構想に立って活動している。フランスのSUD(連帯・統一・民主)が、反失業団体(AC!)の一員として反失業運動をヨーロッパ規模に広げ、反失業ヨーロッパ大行進の実現に役割を果たした。また今日ではATTACの一員としてグローバル化に抵抗する国際戦線の形成に参加している。

CGTのOECD-TUAC加盟

 2002年11月21日に開かれたOECD-TUAC(労働組合諮問委員会)の運営委員会は、この国際機関へのCGTの加盟を満場一致で決定した。これはOECD加盟30カ国6,900万労働者の加盟する56全国労働組合組織を結集している。
 CGTは1995年以来、情報交換の関係を維持し、他方国際的イニシアチブと共通の目的に向かって建設的対話の条件をつくってきた。最近では、持続可能な開発に関するヨハネスブルグ・サミットがそれであった。CGTのTUAC加盟は、労働組合の国際的結集に向かって具体的に行動したいとの願望の表れであるとCGTは述べている。

EU指令に合わせた法制の改正 ― 職場差別の一掃

 政府は職場での差別を一掃する現行の措置を強化する差別禁止法を採択した。これは労働法に規定された現行の権利を補足するもので、フランス法を2000年10月採択のEU平等法に合わせるものである。新法は労働法ばかりでなく、刑法、社会保障法にも関連する。
 とりわけ性の方向性、体つき、性、年齢に関する差別にかんし、現行の反差別法の範囲を広げた。募集、懲罰手続、解雇に関する反差別規定はその対象を広げ、賃金、訓練、仕事の格付けを含む。差別申し立ての場合、被害者はもはや差別を証明する負担を負わなくともよい。さらに労働監督官は職場での差別の監視で一掃強い権限をもち、労働組合は差別申し立てを取り上げる権限を強めた。差別が証明された場合には、20,000フラン(30.03ユーロ)の罰金が課される。

対イラク戦に反対

 アメリカのたくらむ対イラク戦争に反対して12月14日、フランス各地でデモが行われ、パリでは10,000人が参加した。フランスでの全国的な反戦行動は2ヵ月ぶり。CGT、共産党、緑の党など労組、政党、人権団体が呼びかけ、リヨン、グルノーブル、マルセイユなどで抗議行動が行われた。社会フォーラムが開かれたフィレンツェでは、イラク戦争に反対して100万人のデモが行われた。

経団連が労働と雇用の交渉開始

 経団連(Medef)は11月18日、労働と雇用の重要問題に関して12月半ばに最初の会議を持ちたいと労働組合に連絡した。過去1年間、この種の会合が呼びかけられたのは始めてである。他の経営者団体、CGPMEUPAも同席する。
 Medefの希望は次の重要問題である。1)失業手当基金UNEDICについて。2002年の赤字は38億ユーロなので、労使の拠出金の引き上げおよび給付金の引き下げなど、抜本的な措置が必要である。2)職業訓練計画について。訓練の時間は労働時間あるいは休暇のいずれと考えるべきか。
 さらにMedef側は、さらに次の討論を要求した。1)2000年2月に労使の間で合意した女性の均等機会、 2)EUのテレワーク協定のフランス法での実施の討論を要求。3)労使双方の広範な反対があった、18ヵ月中断されている最近の解雇法の条項をどのように適応させるか。CGTは、賃金、仕事の格付け、「社会的不安定」の対策がリストに含まれていないことに遺憾の意を表した。

第47回CGT大会

 第47回CGT大会が2003年3月24日―28日、モンペリエで開催される。