米国では2000年初めのブッシュ新政権の成立、2001年のニューヨーク、ワシントンなどへの同時多発テロ事件、その後の米国のアフガニスタンへの報復戦争、対イラク戦争への急速な動きが、労働者の仕事と生活全般に大きな影響を与えている。また、21世紀にはいって、巨大エネルギー 会社のエンロン、大手通信会社のワールドコムをはじめ、大企業の不正事件が相次いで発覚する一方、失業の増大など雇用不安がかつてなくたかまるなかで、国民の間では大企業への不信が急速に高まり、生活破壊と権利はく奪攻撃からみずからを守るためには、労働組合が必要であるとの認識が増大している。
■米国労働者の状態
2001年から2002年にかけて米国で、バーバラ・エーレンライクというジャーナリストが書いた「ニッケル・アンド・ダイムド」が話題になった。「ニッケル」は5セント硬貨、「ダイム」は10セント硬貨。超低賃金で搾取されている労働者の実態を表現したものだ。著者は、みずから時給6ドル前後の超低賃金労働者を米国各地で体験し、困難な生活実態をなまなましく伝えている。
ワシントンのシンクタンク「経済政策研究所」(EPI)は、米国では時給7ドル以下の労働者が1,400 万人いると推定している。このなかには在宅介護労働者が含まれており、その人たちは健康保険も有給休暇も病休、年金受給資格もない。
失業は、2000年をつうじて4.1 %だったのが、2002年には6%と1994年以来の高い失業率となった。2002年12月だけで、アメリカの企業が解雇した労働者の数は10.1万人にのぼる。800 万人以上の米国人の仕事がないということだが、同時多発テロ事件いらい、雇用がほとんど増大していないという深刻な問題が生まれている。製造業だけでなく小売り、サービス部門でも雇用がのびなかったのは深刻にうけとめられている。
失業期間が長期化していることが深刻な問題になっている。米労働省の統計によれば、米国における平均失業日数は8月現在で16.2週。これは70年代に失業率やいまと同じ6%だったころの10-12 週とくらべても長い。27週間以上連続して失業状態にある人びとは同時多発テロ事件いらい1年余りで倍増した。これ以外に、失業した人のうち就職活動をあきらめた人が100 万人いると推定される。
また、都市部を中心とした青年層に仕事がないことも大きな特徴となっている。16歳から24歳の青年の失業はニューヨークの20万人、シカゴの10万人をはじめとして全米で550 万人にのぼっており、2000年に12%増大しているという(ニューヨークタイムズ 2003年2月6日)。
貧困は、25年ぶり最低に改善されたというものの、その人口の割合は2000年の11.3%から2001年の11.7%にふえており、ブッシュ政権になってからは少なくとも130 万人が貧困に陥り、2001人には3,290 万人を数える。
雇用は、この20年で最悪の状態にあるといわれる。以前は、「ミドルクラス」をささえていた仕事が高卒者にまわってくるのがふつうだったのが、そうした雇用口は低賃金の国にでていってしまっている。そのうえ、国内の雇用の比重は製造業からサービス部門に移ってきた。かつて、セブン・イレブンのようなコンビニエンスストアでは賃金が低いから人員確保が難しいといわれた時期があったが、いまは逆で、ほかに就職口がないからだれもが履歴書を持参してくるという。とくに中途退職者も最低賃金以外の職を見つけるのは至難のわざだという。
■ブッシュ政権の戦争政策と労働組合運動
アメリカでは、「労働者階級は反戦感情にくみしない」というのが「通説」のようになっていた。2001年9月11日の同時多発テロ事件の直後にも、たとえば全米機械工組合(マシニスト)では「正義でなく復讐」がひとつのスローガンであった。米労働総同盟・産別会議(AFL-CIO)のジョン・スウィーニー会長も「対テロ戦争」ではブッシュ政権に協力を表明したほどだった。労働組合だけでなく左翼の間でも、戦争の問題は議論しない傾向があった。
しかし報復戦争の現実はそうした労働組合運動の頭を大きくかえざるをえなかった。ブッシュ政権のアフガニスタンにたいする報復戦争で奪われたアフガニスタンの人々の数が、世界貿易センターの犠牲者数を上回ったこととあわせて、ブッシュ政権の戦争政策が、米国の労働者の生活と基本的権利を脅かすものであることを、多くの労働組合、労働者が理解するようになった。
さらに、軍需産業、航空宇宙産業で世界有数の企業のうちボーイング社はレイオフ、ロッキード・マーティン社では労働協約交渉で労働側が譲歩を迫られた。西海岸では、港湾倉庫国際労働組合(ILWU)と経営側グループPMAとの労資交渉にたいし、ブッシュ政権が「国防」上の利益を理由に反労働組合法を発動して介入し、組合のたたかいを公然と妨害した。ブッシュ政権はまた、「テロとのたたかい」を口実に既存の国防総省など国防関連の政府機関とは別に「国土防衛省」を設置しあわせて職員の労働基本権を奪い、公務員の権利剥奪の突破口をつくりはじめた。空港では、それまで多かった移民労働者の安全検査労働者が大量に解雇された。
<立ち上がりはじめた労働組合>
そして、航空会社、ホテルなどの産業が、同時多発テロ事件で大きな打撃をうけ、何十万人もの労働者が解雇されたこととあわせて、ブッシュ政権がその後急速にすすめた対イラク戦争への動きに、多くの労働組合が疑問をもち、反戦運動にかつてなく多くの労働組合が参加していくようになった。
産業別の労働組合の全国組織でもっとも明確に戦争反対を宣言してきたのはアメリカ電気・ラジオ・機械労働組合(UE)だった。9月の第67回定期全国大会で採択した決議は「対イラク戦争はアメリカと世界の勤労者にとって悲惨をもたらすものである」と指摘。「石油と軍需企業の利潤を大きくするために、米国民であれイラク国民であれ、だれ一人命を奪ってはならない。われわれは、国連による真に多国間の外交的アプローチが最善の道であると考える」とのべ、さらに、戦争は「ブッシュ政権に、団結権、団体交渉権、ストライキ権など労働者の基本権と公民権にたいする攻撃の拡大に口実を与える」ものであると批判した。
AFL-CIOをはじめその傘下の大手の労働組合(公務員、トラック運輸、自動車、サービスなど)は、2002年の後半までほとんどが、ブッシュ政権の戦争政策への反対を明確に表明しなかった。年初にブッシュ政権が核戦争政策を明らかにし(核戦争態勢の見直し)、先制攻撃戦略を年次「国防報告」や大統領の「国家安全保障戦略」などの公式文書で宣言し、当面の矛先をイラクに向けて戦争準備をすすめるにいたって、反戦機運が高まり、労働組合の間にも確実に増大していった。
それでもAFL-CIOは、戦争には反対しない基本的な立場を2002年には変えなかった。
AFL-CIO加盟の単産で唯一反戦決議をあげたのは国家・地方公務員労組(AFSCME)だった。その理由は、「いまイラクに侵攻すれば、テロを撲滅するための戦争から注意をそらせることになる。戦争をするにしても、最後の手段とすべきで、国連の承認なしに実行すべき」という立場だった。それでも、報復戦争反対を叫んだ代議員を抑えつけたその前の年のAFSCME大会にくらべれば、一歩前進だった。
2001年9月11日の同時多発テロ以後、AFL-CIO加盟の労働組合では42のローカル、14の地区協議会、13の地域センター、5つの州組織、4つの労働組合団体が反戦決議を採択した。それを組合員数にすると約200 万になる。
旧マフィア系の指導部が5年前に返り咲いたチームスター(トラック運輸労組)でも、全米で最大規模の勢力を擁するシカゴの「ローカル705」が反戦決議を採択して注目された。総じて保守的なこの組合では、反戦論が通用するような雰囲気ではないと思われていた。しかし10月のローカルの大会では、「われわれは中東の石油利権にたいするブッシュ政権の支配よりも、われわれの息子、娘、きょうだいたちの命を大切にする」というステートメントを採択した。イラクの大量破壊兵器査察問題とか「フセイン政権の武装解除」などの問題には触れていないが、アメリカの労働者階級への戦争の経済的影響への憂慮も表明しつつ、「チームスター・ローカル705 」はブッシュの戦争への動きに断固反対」と表明した。このステートメントは、ベトナム戦争で父が精神的後遺症に苦しんだという代議員が提案したのだそうだ。会議では、だれひとり戦争を支持すると表明したものなく、賛成402 、反対1で圧倒的に採択されたステートメントは、その後の各地の労働組合の反戦宣言、決議のテンプレートになった。
反戦平和の取り組みは、労働運動のなかではまだ大きなうねりにはなっておらず、ニューヨークで注目されていた労働組合反戦運動グループNYCLAWでも、まだ、学校長の組織、作家組合、博物館労働者、大学スタッフ、教授などホワイトカラーや知識人がほとんどだったといわれる。
イラクへの戦争の危険が強まるにつれ、労働組合運動内につくられた反戦平和のグループは、ひろがりつつある。たとえば、最大規模をほこる,国際サービス労働組合(SEIU)のニューヨークのローカルはニューヨークタイムズ紙に全面広告を出し、イラク戦争計画を非難した。全米労働組合反戦運動(USLAW)というグループが、さまざまなキャンペーンのセンターになっている。ニューヨークのほかワシントン、デトロイト、ポートランド、シアトルなどでも地域LAWがつくられている。
<AFL-CIOの戦争反対決議まで>
AFL-CIO自身は、2002年の全米はもとより、国際的に高まる反戦運動を背景に、徐々に変化していった。10月、スウィーニー議長は対イラク戦争の問題での沈黙を破って「戦争は最後のオプションでなければならない」との書簡を議会に送った。ここではまだ、議員に「戦争反対を」と呼びかけるにいたっていないが、2001年の報復戦争支持からみると変化だった。「少なくとも、戦争に反対する余地があるのだということを労働組合の人々に感じさせるものだった」とニューヨーク市戦争反対労働運動(NYCLAW)の代表はコメントした。
AFL-CIOのなかでも、食品産業労組担当部局の事務局長をつとめるジーン・ブラスキン氏がスウィーニー議長に、対イラク戦争ということになれば、アメリカの労働者の利益に反する保守的な政策課題を押し進めるテコを与えることになる、政府の戦争を支持することは、政治、経済でフリーハンドを与えると指摘し、「ブッシュの戦争計画に反対する行動の先頭にたつべきだ」と手紙を書いた。このとき、AFL-CIOのトップの頭のなかは11月5日に控えた中間選挙でいっぱいだったようだ。
2003年2月の執行評議会(フロリダ州ハリウッド)で初めて、イラクへの戦争に反対するとの決議を採択した。この決議は、ブッシュ大統領は戦争をするにあたって、きちんと説明していないし広範な支持も得ておらず、また、イラクを武装解除させる最良の道は、広範な国際的連合であり、国連の支持を受けることである、米国の単独行動は適切ではない、というのが趣旨。かつてのベトナム戦争をはじめ、アメリカの多くの侵略、干渉戦争を容認してきた歴史をみると、画期的な意味をもつ決議といえる。
■港湾労働者の協約改定のたたかい
2002年の米国の労働運動で、西海岸を中心とする港湾労働組合(ILWU)のストライキは、政府の戦争政策と深いかかわりをもち、ILWUの協約改定闘争以上にアメリカの労働運動全体にも重要な意味をもった。
6月30日、ILWU(約15,000人)と経営団体である太平洋海運協会(PMA)との労働協約期限が切れ、5月半ば始まった労資交渉が続いたが、コスト削減をねらうスピードアップ、ハイテクを利用した省力技術の導入、それにともなう人員削減が最大の対立点で、組合員優先の雇用廃止、医療費の雇用者負担削減、年金支給額の物価スライド制廃止などの資本側の提案もあって難航した。ILWU側は、事務職30%削減、新技術の導入(検数など)の受入れを表明しつつ、港への船の出入りプランづくり、コンテナ配置にILWU組合員をつかうことを求めた(現在は遠隔コンピューター操作に非組合員をつかっている)。しかし決着つかず、労組はストライキを実施した。
これにたいし、ブッシュ政権が直接介入し、ストライキをやめて譲歩するよう組合に迫った。ストライキを中止し80日間のクーリングオフを設け、その間に交渉をつづけよというのだった。ストないしはロックアウトが国民の健康、安全を脅かすとみなしたとき、これを阻止する権限を大統領に与えた1947年のタフトハートレー法という労使関係法の発動であった。ILWUの指導部に直接、「ストをやめ港の操業を再開しないと海軍を動員して、作業を再開する」と脅したという事実も明らかになった。ブッシュ大統領は、国防、「テロとの戦争」をカードに、「西海岸のストは戦時には破壊行為(サボタージュ)に当たる」通告したという。これは、いわゆる無制限の「テロとのたたかい」に米国労働者すべてがこういう形で縛られるということを意味する。
政府の介入は他の労働組合の反発もうみ、8月13日の交渉再開の前日には西海岸のオークランド、ロングビーチ、シアトル、タコマ、ポートランドなどで大きな抗議集会が開かれた。
11月23日、労資は6年協約の内容へ暫定合意にたっした。
ILWUは米国西海岸29港の労働者の組織で、1934年以来単一の協約を実施してきているので、一か所でストライキが起これば、すべての港がストップする仕組みになっている。もともと賃金は時給で27.68 ドルから33.48ドル、年俸8万ドルから15万ドル(残業を含む)で、他の業種に比して高い。健康保険も年金も完備している。労働者はアフリカ系、ラテンアメリカ系の労働者が多い。
■ウォールマート労働者の全国行動
米国だけでなく世界的にも最大規模をほこる大型小売店チェーンのウォールマートの従業員が11月、労働組合の権利を認めよとの要求をかかげ、女性、環境保護団体、キリスト教会などの支援を受けて、全米規模で統一行動を繰り広げた。米国の労働組合のなかでも戦闘的なことで知られる食品商業労組UFCWが全国100 以上の都市で組織したもの。UFCWは1999年いらい、ウォールマート労働者の組織化をめざしてきた。「ウォールマートに労働組合を!」と、抗議参加者が通りすぎる車によびかけるなどの行動は、各地のローカル紙はもちろん全国紙などでも報道された。
ウォールマートは全米で3,250 店あり、95万人の労働者が働いているが、労組員は皆無。2001年にUFCWはテネシー州ジャクソンビルで11人のウォールマート労働者を組織したが、このうち10人は辞めている。労働者は反労働組合思想を、ビデオをつかってたたきこまれ、不満をいえばクビになるという職場環境。そのうえ、賃金は時給で平均8.5 ドルで、同じ業界でも組合がある他社より2、3ドル低く、健康保険も会社側は負担しない。労働者を「アソシエート」(仲間、パートナー)と呼び、ストックオプション、利潤分配制度をつくって従業員をつなぎとめる一方、タイムレコーダを押す前に何時間もタダ働きさせ、定時で仕事を終えタイムレコーダを押した労働者にさらに仕事をいいつけるなど日常的に時間外労働を強制していることで知られている。
全米統一行動には、全米女性組織(NOW)、AFL-CIO、かつてキング牧師が活動していた南部キリスト教指導者会議(SCLC)、全米バプティスト・コンベンションなど33の組織が賛同、支援した。
統一行動では、生活できる賃金、健康保険、労働組合権利への不介入などの要求を掲げた。
■アステカ労働者のたたかい
シカゴにあるトルティーヤ(トウモロコシの粉でつくる生地の薄いパン)やチップスなどを製造するアステカ食品で、労働者にたいするいやがらせが続いているなか、御用組合に反対する労働者が3年前、労働者の利益をまもるために活動する組合を立ち上げようと行動を始め、2002年4月には、全米労働関係委員会(NLRB)監督下の役員選挙では、勝利、アメリカ電気・ラジオ・機械労働組合(UE)のローカルとして発足、5月14日から会社側と労働協約交渉に入った。
労働者はメキシコ人を中心とするスペイン語を話す女性労働者が多い。会社の監視、労働力、強化に反対し、賃上げ、諸手当引き上げ、労働条件の改善、従業員の健康・安全管理(火をつかい高温の職場ではたらくため)、健康保険の改善などを要求している。しかし会社側は、こうした要求について真剣な交渉に応じるのではなく、利潤を大きくしていながら手取り賃金をカットするとか、現在の超過勤務手当てなどをなくすとか、基本的権利をうばう動きにでた。このためUEローカルは9月末からストライキにはいっている。
■ボストン清掃労働者
米国の大都市では各地で、国際サービス労働組合(SEIU)のローカルが、典型的低賃金の清掃労働者の賃上げ、健康保険など正当な待遇をという要求をかかげてのたたかいがおこなわれた。ロサンゼルス、ニューヨーク、シカゴ、セントルイスその他のいくつかの都市で前進してきた。いちばんたたかいが発展しているロサンゼルスでは9,000 人の労働者がストライキでたたかい26%の賃上げ、500 ドルのボーナス、病気休み、健康保険などをかちとった。首都ワシントンなどでは、行動がはげしく、道路を封鎖してしまうこともある。米国の労働運動としてはめずらしく、SEIUの全国指導部のもとでの統一的なたたかいという性格をもっている。
なかでも注目されたのはボストン市を中心とするローカル254 が賃上げ、諸手当の改善、正規従業員増員のほか不当労働行為の中止などをかかげての、9月30日からひと月以上に及んだストライキを経て、11月9日清掃請負会社との協約を結んだことである。
清掃労働者は多くが中南米からの移民、出稼ぎ労働者である。米東海岸には約2万人のそうした清掃労働者がいる。ボストンでは時給が平均で9.75ドルから10ドルで、「生活できる賃金条例」が定める最低賃金10.54 ドルにたっしていない。ニューヨークの17.45 ドル、フィラデルフィアの11.96 ドルなどより低い。2つの清掃の仕事をかけもちでやっても週に256 ドルそこそこで、大都会ではアパートさえ借りるのが難しい額なので、複数の家族が一つのアパートに一緒に暮らしていることが多い。ボストン市内では清掃労働者の約90%がSEIUローカルに組織されている。他の業種の労働者にくらべたら抜群に高い水準であるが、逆にいえば、それだけ劣悪な賃金、労働条件だということだが、同時に、以前のローカル254 のリーダーの腐敗、SEIUの全国指導部への反抗といった問題があったため、労組ローカルの立て直しも平行してとりくまなければならなかった。
■ニューヨーク交通局労働者の協約闘争
年末のニューヨークで、市営交通(バス・地下鉄)の労働組合TWUと市交通局の間の協約改定をめぐって、34,000人の労働者が、ストも辞さずと、賃上げを中心とする要求をつきつけた。結果的にはストは回避されたが、たんに労働者の生活、労働条件にとどまらずバス・地下鉄サービスにかかわるたたかいとしても注目された。
ニューヨーク州では公務員のストライキは禁止されているが、12月14日に現行の協約が期限切れとなり、交渉が決着しなかったため、TWUはスト権を確立した。
もっとも大きな対決点は、賃上げだった。TWUは3年で24%の賃上げを要求。州当局は、1年目は引き上げなし、2年目以降は生産性しだいできめると主張。 TWUは運賃値上げにも反対の立場を明確にし、労組以外の「運賃を守れ連合」など市民グループを共同し、公正な州の予算配分によって運賃引き上げをやめさせる努力をあわせておこなった。運賃値上げで労働組合の要求を盛り込んだ協約で妥結すれば、労働者が市民の非難を浴びることになり、交通機関のために必要な予算が十分に回らないというこれまでのパターンをさけようとした。予算のつかいかたについてTWUは、たとえばニューヨーク市では州の運輸関係では84%を引き受けているのに、運輸関係の予算の63%にとどまっているから、交通局の赤字が増えていると指摘し、具体的に公正な予算配分の提案をシンクタンクの協力もえて明らかにした。じつは、TWUのこれまでの当局との交渉は、市長、州知事とのボス交だったが、今回は組合指導部の交代のあとで、様子がかわった。
11月にはニューヨークの地下鉄で、労働者2人が勤務中に死亡する事故が発生した。これをきっかけに、「自分たちは二流の扱いしかうけていない」という不満が渦巻いており、ニューヨーク州内の他の交通機関メトロノースやロングアイランド鉄道の賃金よりも低い、同じ公務員でも消防士、警官、教員には二桁%引き上げ引きあげているときにバス・地下鉄は凍結だというのは納得できないという問題もあった。労働者にたいし人間の尊厳を無視するような規律制度に反対し「人間としての待遇をうけるためにスト」を辞さないという構えでもあった。
結局、3年協約では1年目は賃上げをせず、一律1,000 ドルを支払う、2、3年目はそれぞれ3%引き上げるというところで交渉は妥結し、賃金凍結という事態を避けた。また、規律制度も改善するが約束された。
■リビング・ウエイジ(生活できる賃金)運動
約86年前からはじまった「生活できる賃金運動」(リビング・ウエイジ・キャンペーン)が着実に進んでいる。
市の契約企業で年8,500 ドルで働いていた人の給料が、リビング・ウエイジが条例化されて24,000ドルになったという、うそのような話が新聞に紹介されている。
米国でリビング・ウエイジが最初に条例化されたのは1994年、ボルティモア(メリーランド州)だった。その当時は、「そんな条例をつくったら、雇用が減り、地元企業は高い賃金を払わされる」といわれた。しかし60以上の都市が「生活できる賃金の条例をつくった。市の事業を請け負う企業ないしは補助金を受けたり、税金を免除されているなどの優遇措置を受けているところが対象にされている。金額はまちまちだが、カリフォルニアではパサデナの7.25ドルからサンタクルスの11ドルといった幅で設定されている。
マサチューセッツ大学のロバート・ポリン教授がLiving Wagesという本で、「最初のころの成功をもとに、運動は確信と弾みを増大させ、討論を活発にし、より大きな戦いの場にもっていきつつある」と書いた。しかし対象はまだ10万人にとどまっており、くわえて、こういう条例を禁止しているところもでてきている( アリゾナ、コロラド、ユタ、ミズーリ、ルイジアナ、オレゴンの各州)。いわゆる社会的セーフティネット(福祉)が崩れているという状況もあって、また、最低賃金引き上げの動きも発展していないことから、「生活できる賃金を」条例で制定する運動は重要性を増しているといえるだろう。
この運動の先駆け的存在でもあるシカゴを中心とする都市の生活向上運動である「改革をめざす地域運動協会」(ACORN)によると、2002年に10市、5郡、1港、1大学で「生活できる賃金」を制定した。この年の運動の新たな成果として、老人ホーム、保育施設などで働く超低賃金の介護労働者に焦点をあてた取り組みがあった。これは、働く人たちにとって重要であるだけでなく、質のいいサービスを提供するための安定した労働力を確保するうえでも重要であるといわれている。すでに2000年にサンフランシスコでこの方向が具体化され、2002年にはボストン、ニューヨークなどでも取り組みがおこなわれた。
ボストンは「生活できる賃金」運動を早くから取り組んだところであるが、2002年には16か所の保育 施設経営団体が免除を申請してきた。これにたいしてACORNは、具体的な数字を示して反論、結局12団体の申請を却下した。
ニューヨークでは、宗教、労働関係の活動で制度を改定し、8.1 ドルからはじまって2006年には10ドルにする(健康保険料を折半していない雇用者は1.5 ドル上乗せ)などの前進があった。9,000 人の保育労働者にたいしても、遅れてではあるが適用される見通しである。
■長時間労働、強制残業
不況、失業増のなか、どうにか働き口を確保している労働者は、残業を強制的にさせられていることが多い。米国には、Fair Labor Standards Act(FLSA)という労働基準法がある。これは1938年、大恐慌時代の労働組合の圧力で制定されたもので、失業者を積極的に雇うよう企業に奨励するためのものだった。今日では、十分な人員を確保しないで従業員をしぼりとることが当たり前のようになってしまっている。残業を規制する法律がない。雇い主は週40時間をこえていくらでも働かせることができる。州レベルでは、ミネソタで労働時間規制の州法が制定されているが、これも部分的なもので、救急施設で残業を拒否した看護師にたいして制裁を加えてはいけないというものである。残業時間は一般に労資の協約で決められている。このため、労働組合のない職場はある種の無法地帯になっている。
ウォールマートなどの職場では、ストアマネージャー(店長)にたいし、残業をゼロにするように(つまり残業しても払わなせない)と命じているところでは、残業がないことをたてまえにして長時間働かせているところがある。それで最近もしばしば、未払い残業手当ての支払いを求める訴訟が起きている。12月19日にはオレゴン州で、ウォールマートの24店舗の従業員、元従業員が、ただ働きをさせられたとして、裁判所に訴え、未払い賃金をしはらうよう判決が下された。このほか、年俸で雇われている労働者が、休日出勤や残業を無制限に強制される事業所も少なくない。
■企業スキャンダルと労働組合
AFL-CIOは8月の執行評議会で、企業活動への国民の信頼を回復し、会社にたいする株主の発言権を拡大するためのプログラムを提起した。さらに、大手長距離電話など通信事業のワールドコム、エネルギー業界最大手だったエンロンにかんして、1,7000人の労働者の名において退職金を支払わせるための法廷闘争を宣言し、3,400 万ドルの退職金支払いをかちとった。ワールドコムにたいしても同様の訴訟で、退職金を満額支払わせることになった。
AFL-CIOは全米機械工労組(IAM)と共同して、イリノイ州の企業スタンリーのバーミューダ移転計画を撤回させた。また、全米法制・繊維労働組合(UNITE)議長と組んで投資信託のフィデリティ・インベストメント(エンロン、ワールドコムなどの大株主)にたいしては、株主からの提案の表決を開示させた。
エンロンが不正会計、市場操作が明るみにでて崩壊したとき、4,000 人の労働者がたちまち失業者になり、健康保険がなくなったばかりか、確定拠出年金=401(k) が煙になってしまった。401(k)であつめたカネを資金に企業株にのせて株価をつり上げたが、それが下がると労働者の年金が危なくなるという事態の実例がエンロンで端的に示された。
2002年7月のギャラップ社の世論調査では、アメリカ人の38%が、大企業は国の将来にたいする最大の脅威であると答えている。これは同社の48年にわたる調査で最高の数字だそうだ。
AFL-CIOの調査では、39%が企業にたいして否定的な見方をもっていた。一年前は42%だった。また、労働組合に加入していない労働者のうち50パーセントが組合をつくるための役員選挙に賛成している。
さらに、資本の側の立場に立つEmployment Law Alliance の調査によっても、米国民の58%は、労働組合をもっと強くすることを望んでいるという。そこでは、84%が、企業は年金に責任をもつべきであると指摘。73%は労働者の代表を会社の役員会に加えるよう主張している。
議会では、企業の責任を明確にするための法案や401(k)年金積み立て、破たん企業の労働者を守ための法案など、いくつか労働者を守る措置が提案されるようになった。
■労働者の組織化
<UEの経験>
米国では、労働者の基本的権利がよわめられているなかで労働組合運動は大きな課題に直面しているが、そのなかでも、UEの未組織労働者の組織化はいくつかの点で発展を示している。ノースカロライナ、バージニア、イリノイ、バモント、ペンシルベニアなどの各州で成果をあげている。
もとよりUEはAFL-CIO加盟組織ではない、いわゆる少数派組合とよばれる存在であるが、第二次世界大戦後、「冷戦」のなかでの赤狩り、労働組合つぶしないしは右傾化攻撃に耐えた組合である。名称は、電気・ラジオ・機械労働組合だが、産業を越えた未組織労働者の組織化にとりくんでいる。AFL-CIOとちがって、徹底した草の根の力に依拠して組織化をすすめる方針を貫いている。
ILOは団体交渉権を基本的人権のひとつとしているが、米国南部では多くの州がこの権利を保障していない。そんな障害にもかかわらずUEは、南部諸州で組織化に取り組んでいる。
その努力の結果つくられたのがノースカロライナ州のUE150 である。
UE150 は公務員の権利のための地域を基礎にした闘争の歴史からうまれた。90年代はじめ、アフリカ系労働者の基本的権利をかちとるためのBlack Workers for Justice というノースカロライナを中心としたグループが「労働者の公正な権利をもとめる運動」を始めた。米国南部の組織化へ広範な支持を得ることだった。そして、いろいろな組合や組織に加入している同一産業の労働者を結集させることだった。その結果、ノースカロライナ公務員ネットワーク(のちにアセンブリ)をつくり、生活できる賃金、安全で健康的な労働条件の確立、労働者の権利擁護、差別、えこひいき、民営化、人員削減に反対という目標をかかげ、1997年になってノースカロライナ州全域をカバーするUEローカル150 を結成し、98年にはさらにノースカロライナ大学の組織化に取り組んだ。
こうした経験をふまえて、2002年にはバージニア州での組織化を前進させ、州立ウエスタン病院の職員200 人がUEローカル160 (バージニア公務員労組)を結成した。バージニアは公務員の組合協約を禁じている州であるが、労働者は安全なスタッフ配置、生活できる賃金の保障を求め、苦情申し立てや集会、政治に訴えるなどの行動を起こして成功させた。結成後最初におこなったことは路上集会だった。これはメディアの注目を集めるものとなり、団体交渉権のない条件のなかでも副知事との会談に道を開いた。
これより数ヵ月して、同州ウイリアムズバーグの大学の労働者がUEローカルの結成にむけて動きだした。生活できる賃金をかちとることを最大の課題とし、近くの病院職員と共同した取り組みをおこなった。
<AFL-CIOの組織化の活動>
AFL-CIOは1995年にトップの交代でジョン・スイーニー議長(前SEIU議長)になってから、組織づくりを強調してきた。米労働省統計局によると、AFL-CIOの組織勢力は、1997年以来25万人増えて約1,324 万人(2001年)だった。この間カーペンタース(大工)が33万人、運輸関係で7,000 人がAFL-CIOを脱退した。増えかたは目標の半分であり、脱退をくわえると、資金を投入して宣伝にも力を入れ組織拡大をはかっても、組織人員はこの5年間で68,000人減少した。組織化は成功していない。2003年2月の執行評議会ではこの「失敗」をみずからみとめて新しい方向を追求しようとしている。
2002年8月シカゴで開いた執行評議会では、新しい前進をつくりだすための「組織化サミット」を2003年1月に開催することを決めた。その決議は「個々の労働組合でも労働運動としても、ふたたび大きく成長しないかぎり、われわれは交渉においても、また政治の場でも、われわれの政治的目標をやりとげることも、今いる組合員を守ることも期待できない」とのべた。
その方向の一つとしてAFL-CIOはようやく、現在の米国の労働法制の改革の必要を強調しはじめている。
従来AFL-CIOは、労働法制の改革のための立法を支持したり提案したりという行動はやらなかった点を変えようとしている。8月の執行評議会の決議では「労働組合に加入する権利を回復するためのキャンペーンの提起を、議会委員会と共同してつくる任務を、組織化委員会に与えた。これをわれわれの運動の優先課題と位置づけなければならない。このための財源も確保する」とのべた。
さらに2003年1月10-11 日、ワシントンで全米のAFL-CIOオルグをあつめて初の「オルグ・サミット」を開いた。ここではいろいろな提案がだされた。労働組合の団体交渉と政治課題での行動をどうするかが大きなテーマとなったといっていい。
スウィーニー議長は参加者にたいし、「われわれの職場、金融市場、それに政府を牛耳る企業勢力が妨害しているが、それらに抗して組織への道を開こう」とよびかけた。具体的な決議は採択していないが、いくつかのコンセンサスが生まれた。
一つは、労働組合が新組合員の獲得の努力で前進しようとするなら、価値観、要求を同じくする他の分野にも出ていくことが必要だという点。はたらく女性、移民、宗教者、医療関係者、退職者、学生、環境保護などのグループとの連合をつくり強化する必要性とともに、居住地での建設的活動への参加をよびかけている。そして支持を求めてくる政治家にはきびしい要求をつきつけ、経済・政治闘争に組合員が参加することを優先課題にする、という内容である。
もう一つは、労働法制をかえるためのAFL-CIOの運動強化の方針への賛意が表明された。組合にすすんで加入しようとしても会社側からのいやがらせや報復をされる心配がなくなれば、組織化はもっと進むという考えである。
労働組合の会議としてはめずらしく自己批判もあった。都合の悪いことは報告しないというやりかたは、一般組合員の信頼をだいなしにするという意見がでた。
2月24-26 日にフロリダ州ハリウッドで開かれたAFL-CIO執行評議会はさらに前へ進む方針をうちだした。
全米労働関係委員会(NLRB)の監督下での選挙で新しい労働組合結成の可否をきめるという制度が障害になっていることは、自主的な労働組合運動では、くりかえし指摘されてきたが、AFL-CIOもここへきてようやく問題にしはじめた。
そして、組織化を推進するうえで、おもに2つの点を打ち出した。
一つは、カードチェックシステムといって、NLRB監督下の選挙ではなく工場など職場の労働者の組合員証を点検することによって労働組合の成立を雇い主に確認させる方法での組合結成を推進する。これは、全米自動車労組(UAW)などがすでに実施している。
もう一つは組織化運動を人権擁護のたたかいと位置づけ、とくに低賃金の経営で「すべての組織化キャンペーンは、米国における人権を認めるのか否かを問うものである」という考えかたである。
■選挙と労働運動
2002年は、中間選挙の年だった。大統領選挙がおこなわれる4年に一度の総選挙(連邦議会はじめ地方議会議員、州知事、市町村長など)から次の選挙までの中間におこなわれる連邦議会、地方議会などの選挙であるが、とくに連邦議会では上下院ともブッシュ与党共和党が多数を獲得した。
AFL-CIOは、ブッシュ政権がいかに勤労家庭のことを優先課題としていないかを前面に押し出すという方針で、エンロンなどの不正事件を取り上げてブッシュ大統領を批判するものだった。当面の、国際的にも国内でも大きな問題となっている対テロ戦争、対イラク戦争とそれにかかわる国内での民主主義抑圧、国土防衛省の設置などでの批判などはまったくなかった。
もっとも内政問題でも決してブッシュ政権と対決姿勢で臨むというものでもなかった。投票日から半月前の全国行動日には、大企業の腐敗・不正をもっぱら問題にした。
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