労働基準関係法制研究会の討議事項に関する意見の補足
厚生労働大臣 武見 敬三 様
労働基準関係法制研究会構成員各位
労働基準局担当者各位
2024年10月1日
労働基準関係法制研究会の討議事項に関する意見の補足
全国労働組合総連合
「労働基準関係法制研究会」は、9月11日の第13回研究会で、論点に関する三巡目の議論をひととおり終え、まとめの段階に入りつつあると思われる。全労連は7月5日に、研究会で取り上げられている論点と議論内容に対して、労働者・労働組合からあがっている様々な意見、懸念、要望をまとめて提出した。研究会において、労働者の意見をふまえた議論をしていただくことを期待してのことであるが、その後の状況をみると、デロゲーションの要件である過半数労働組合や過半数代表者の「同意権(拒否権)」を剥奪しようとする議論が表立ってなされなくなった等の変化はみられるものの、依然として労働者の意見が十分には汲み上げられていないと感じている。ついては、2巡目以降の議論に関わり、いくつかの論点について、意見の補足を行いたい。
なお、7月の意見書において、労働基準法の規定ぶりや運用について問題があると、現場の労働者から指摘されている課題を示したにもかかわらず、その多くが論点とされていないことは、極めて遺憾である。以下ですべて再論することはしないが、研究会においては、上述の当団体の意見書や他の労働団体からのヒアリングをふまえ、まとめに入る前にとりあげるべき課題の総点検をしていただくよう、要請する。
記
1.規制単位を事業場から企業・法人に転換する件について
労働基準法の適用を、現行の事業場単位から企業単位へと変えることには、重ねて反対する。労働基準法は、働く現場の実態に対して適用されるものであり、本来あってはならないデロゲーション(最低基準を下回る規定の再設定)ともなれば、なおさら現場を知る事業場の労使が内容をつめる作業を行うべきである。7月の意見書でも指摘したとおり、現場から遠い法人の本社に、上記の作業や監督機関への届出を委ねることは、使用者を単に楽にさせるだけでなく、違法で無効な協定を蔓延させてしまうことになる。
それは、2021 年に容認された 36 協定の本社一括届出の現状をみても明らかであろう。法令遵守のための労働基準監督署による指導も、事業場の実態に即して行われ、違反があれば現場の行為者に対して指導を行うからこそ、適正な監督が可能となる。現在の規制単位を堅持しつつ、事業場に対して行われる監督指導を、より拡充することを検討するべきである。
企業・法人単位化を推奨する意見は、その理由として、①労使コミュニケーションの集団化による労使協議の実質化(事業場を超えた過半数代表間の意見交換の場の確保)、②法令遵守をさせる上での有効性・効率性(本社がトップダウンで違反根絶を指示することへの期待)、③デジタル化による事業場の「場所」のないビジネスの登場等をあげている。
しかし、①の理由についていえば、日頃接点のあまりない本社に、事業場の過半数代表(過半数労働組合もしくは過半数代表者)が短期間呼ばれて協議する方式では、そこに他の事業場の過半数代表が並んでいようと、十分な意見交換などできようはずもない。むしろ発言機会の減少(当事者性を発揮する機会の減少)や、本社の目を気にした萎縮などが起き、労使コミュニケーションを不活性化する可能性が高いのではないか。もちろん、事業場を超えた過半数代表相互の意見交換は、協定の内容を吟味し最善を検討する上で意義あるものとなりうるが、そうした交流は、労使協議の前に使用者側代表がいないところで確保されるべきである。規制単位の企業・法人化論とは別の複数事業場のある企業における過半数代表制度の改善策として考えるべきである。
②の理由は、現行制度下で対応できており検討の必要がない。現在も、違反の原因として本社の指示や会社全体の事業計画がある場合などは、所管の労働基準監督署だけでなく、都道府県労働局が連携して動き、企業本社や経営トップに対して全社的に労働者の働かせ方についての対応の是正を指導し、悪質な場合は社名公表なども行われている。
むしろ、違反の実態のある現場で証拠を押さえるからこそ、経営トップへの指導も可能であり、事業場単位規制は本社への指導を実現する生命線ともいえる。
③の理由だが、全社員がリモートで「事業場」が存在しない事業は確かに現れているが、だからといって事業場単位規制が無効となるわけではない。例えば、在宅テレワークのみで働いている労働者が労働基準法違反を申告した場合、労働基準監督官の検査は申告した労働者の働き方と、当該労働者に指揮命令をしている使用者がいる法人(この場合は本社)に対して行われ、監督指導がなされている。現行制度で対応可能であり、規制単位の見直しは必要ない。
こうした事業形態に関わる問題点として指摘したいのは、「パソコンとクラウドに事業情報は詰められているが、パソコンはどこに行くかわからない。働く人も会社も、パソコンがあるだけで場所はどこなのか。法人として登記をしている場所はあるが、それが実際の事業の場所とか働く人の場所とリンクしていない」事業の登場に対し、労働者保護法制と労働行政の何を変えるべきかを十分に検討するべきということである。
昨今、この発言にあるとおり、求人・採用、業務の指示、報告等、事業運営の全ての段階で、オンラインのみで労働者と関係をもつ事業形態が登場しているが、これが賃金未払い事件や無効解雇の温床となっている。相談を受けた労働組合や申告を受理した労働基準監督署が、所管地域を超えて連携し、法人をつきとめても、登記された場所に本社が存在しない詐欺ビジネスであったケースもある。
テクノロジーの進化を悪用し、雇用責任を果たさない一部の新興ビジネスに対し、規制単位の法人化は対策にならないが、労働基準法と労働基準監督行政を有効に適用させるためのなんらかの見直しは必要と考える。少なくとも、事業場と法人の「場所」を確定させ、使用者責任をはたしうる体制にあることを証明しなければ、労働者を雇用する事業を開始できないような法規制をはかるべきではないか。
2.労働基準法上の「労働者」について
労働基準法第 9 条の労働者の定義について、ただちに条文を変える必要はないとの研究会の主な論調については、特に異論はない。ただし、9条の運用にかかわる「労働者」の判断基準の見直しと、「労働者性」の推定、挙証責任の使用者への転換をはかる制度の具体化については、諸外国での運用実績を見守るといった姿勢ではなく、日本においても早急に検討をはかり、実装化をはかるべきである。
周知のとおり、形式は個人事業主であっても、契約相手に対して従属的で、指示に従わざるを得ない就業者が増えており、契約の不安定さ、低報酬や報酬未払い、長時間就業、労災や休業時の補償のなさなどの問題の解決は待ったなしである。使用者責任を回避しようとする事業主らは、使用従属性判断の中核的要素である業務遂行にあたっての直接的な指揮監督や、労務提供にあたっての時間的 ・ 場所的拘束性をのがれる「働かせ方」の手法を取り入れている(アプリを媒介とした指示、業務委託契約の仲介事業者を装った指示、裁量の発揮を許さない詳細な「仕様書」「マニュアル」による指示等)。
そこで、欧米でも重視されるようになってきた、「経済的従属性」の要素を、労働者の判断基準に取り入れてはどうかと考える。その際、経済的従属性の定義を「稼得の全てまたは多くを特定の相手方からの報酬に依存している」ことのみにおくのでなく、「相手方との関係で、交渉力が不均衡・非対称であり、相手方からの就業条件・報酬の一方的な決定や改変の実態があるような経済的劣位にある関係」という要素を別途、設定する。その場合、交渉力の低さの判断基準として、労働基準関係法令の水準を下回る働き方をしていることにおいてはどうか(例えば、時間当たり報酬額が最低賃金を下回っている、労働時間法制に違反する長時間労働を行っている等)。
つまり、フリーランスという働き方は、最低でも、労働基準を上回る労働条件を享受していなければならないもの(最低限度の交渉力を証明する基準)とし、それを下回る者については、本人の意志にかかわらず、強制的に労働基準法を適用し、業務委託契約を労働契約に転換させる推定を行うのである。そうすることによって、使用者による「非労働者化」手法による労働基準法の有名無実化も、くい止めることができると考える。
なお、こうした形で労働者の定義を見直して労働基準関係法制の適用範囲を拡張した場合、理屈の上では、労働基準法を下回る条件で働くフリーランスはいなくなるはずだが、そうした措置をした後にも、新しいグレーゾーンは生ずる。そうした働き手については、現在の労働安全衛生法ではかられているように、実態に応じて関係法令を拡張的に適用する「特別の取扱い」を行い、健康確保や労働安全基準等をはかるようにすることが必要である。
3.集団的労使コミュニケーションについて
表記のテーマについて「労働組合を一方の当事者とする労使コミュニケーションを活性化するための立法措置もしくは、政策措置について」という論点が、2巡目の議論において取り上げられた。労働組合がかかわる集団的労使コミュニケーションは「重要である」との確認が、研究会内でなされたことから、労働組合への支援に資するような 「 立法措置・政策措置」が考えられないか、問いかけられたものである。
残念ながら、この問いに対する研究会の構成委員の意見は、「労働組合は労働者が自主的につくるものだから、立法措置には違和感がある」というものに、ほぼ収斂してしまったようである(第 9 回)。しかし、この見解に、労働組合としては強い違和感を覚える。まず、現行法の中には不当労働行為を定義する法令とそれに基づく救済制度の規定がある。つまり、「労働者の自主的活動である労働組合を法令で支援するのはおかしい」という意見は、現行法の在り方からみて的外れである。労使の力関係には大きな差があり、憲法が保障した労働三権を実質化し、労使が対等の立場で交渉を行うことができるようにするためには、労働組合法による支えが不可欠なのである。
問題は、今の労働組合法の制度的なバックアップでは、迅速かつ十分な権利救済がなされていない点にある。労使対等の健全な労使関係を構築することを目指して労働組合を結成しようとしても、使用者はその動きを察知するや否や、多くは違法な、あらゆる手立てを使って団結権行使を妨害し、労働組合を潰してしまう現実がある。ヒヤリングにおいて使用者が語る温情的・友好的な労使コミュニケーション論を聞かされ、それを信じている学識者には想像できないような、暴力的な現実が、労組結成の現場にはある。
私たちは使用者の恩情を求めているのではないし、結局、労働者が自らの意志で団結を強め、時にストライキ等の実力行使をも辞さずに使用者と対等に立ち回る力を持つしかないことは理解している。しかし、使用者による労働組合潰しの防止を意図している現行の労働組合支援の法的・制度的施策が、その目的を十分に達成していない以上、それを実効性あるものに強化することは、「労働基準法を守らせるため」にも必要であり、研究会としても検討するべき課題であると考えていただきたい。
具体的な対策としては、一定の要件の下での労働組合活動の時間内補償の制度化(職務専念義務からの一定時間の免除)、組合掲示板(社内イントラネット上の掲示板含む)の設置義務、組合事務所や事務所的機能をもつ場所や机の貸与義務、上部団体の団体交渉参加拒否の禁止、労使紛争解決システムの改善(紛争を長期化させ労働組合の弱体・消滅につながる「五審制問題」の解決、労働委員会の機能に関する実態調査と改善策の検討、不当労働行為を防止するための罰則の導入(企業名公表、公共団体の事業への入札停止等)を検討してはどうかと考える。
4.時間外・休日労働命令に対する個人の拒否権について
デロゲーションが成立するための労使合意の在り方として、研究会では 「 個人合意だけではなく、集団的合意と個別合意の二つが揃う必要がある」との確認がなされている(第9回)。
それを受け、「36協定が成立した後でも、個人が残業に同意せず、定時に仕事を終える権利を認めてはどうか」との意見が出されて、議論になっている。
時間外・休日労働は、労働契約上の個人合意を前提に、36 協定による集団的合意があって、免罰効果が生じ、実施が可能となるわけだが、一般的には就業規則に規定されていることをもって労働契約の内容 (個人合意)とされてしまっていることが多い。そのことについて、「就業規則の周知に基づく合意では、個別の合意が成立しているとは言い難い」と指摘された構成員の見解には共感する。そして、36協定の成立(集団的合意の成立)のあと、個別の合意/拒否の余地があるものとし、36協定が成立した後でも、個人が残業に同意せず、定時に仕事を終える権利を認める提案について賛同する。こうした仕組みは、育児介護休業制度や、労働組合のある事業場における労働協約によって、実際に運用もされている。「よりソフトな方法」を模索する意見も出ているが、使用者の善意に委ねるような方法ではなく、労働法制の中での根拠を明確にするべきである。
ただし、こうした時間外・休日労働の命令への拒否権について、「集団的労使合意(労使協定)から『適用除外』をするオプト・アウト(選択的除外)」と定義づけする見解には異論がある。研究会の中でも意見があったように、「オプト・アウト」とは、労働者保護法制の適用から外れることを労働者個人が選択する(させられる)デロゲーションであり、労働者保護を高めることとは真逆の効果をもたらすからである。この視点が悪用されると、例えば、労使協定の上限を超える時間外・休日労働を行うオプト・アウトの権利を認める ( 長時間働く自由を認めよ)とか、労働者保護法制から外れるオプト・アウトを認めるといった制度改悪を誘発しかねない。一部の使用者に待望論があるオプト・アウト制度は、個別合意のみによる危険なデロゲーションであり、絶対に採用するべきでないことを申し添える。
もう一点、個人同意による残業拒否の権利を労働基準法の中に確立したとしても、使用者による嫌がらせ、不利益取り扱いの脅しによって、労働者がその権利を行使し難い状況に置かれてしまう可能性がある。そうした不利益取り扱いを防止しうるなんらかの措置をはかるべきである。労働基準法に基づく労働者の同意・拒否、申告といった権利行使に対する使用者による報復措置については、不利益取り扱い禁止規定等で対処されているものがあるが、労働者の多くは現行規定では実効性に乏しいとみている。不利益取り扱いを真に防止するため、禁止規定の罰則をより強化などの措置を合わせて検討することを求める。
5.テレワークにおける「みなし労働時間制」の適用について
研究会では、在宅テレワーク向けに「事業場外みなし類似のみなし労働時間制」を創設する主張がだされ、理由として、テレワークの『中抜け』問題への対処があげられている。「テレワークでも技術的には実労働時間管理は可能だが、それは労働者を監視することにつながり、プライバシー保護に欠ける。そこで、労働者のために、みなし労働時間制にすべき」という見解である。この意見に対し、「実労働時間管理から外れるみなし労働時間制は、健康問題を引き起こす可能性があり、テレワークだからといって認めるべきでない。フレックスタイム制の活用が望ましい」との反論もなされている。全労連は、後者の意見に賛同し、「みなし労働時間制」の適用には強く反対する。
いうまでもなく、労働基準法が達成すべき最低限の目的である健康確保をはかるためには、使用者に対し実労働時間管理の義務を課すことが不可欠である。労働時間の管理は、「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」によれば、使用者が自ら現認する方法が原則であるが、それができない場合は 「 自己申告制」も認められている。この解釈を背景に、製造ラインで働く現業系以外の労働者の労働時間管理方法としては、上司による現認方式(監視)は必ずしも必要とされておらず、自己申告制が採用されているところが多い。そうした事業場では、始業・終業時刻の把握がなされていれば、ある程度の「中抜け」的行動(短時間の息抜きやトイレ休憩は)や、上司の目の届かないところでの業務遂行等は問題視されていない。結局、就業時間内に適正に仕事をしているかどうかは、仕事の進捗、成果の到達状況をみて判断しうるからであり、常時、労働者を監視する必要はないからである。同じことは、在宅テレワークについてもいえるのであり、テレワークについてだけ「使用者の現認(監視)がいやなら、みなし労働時間制を」との二択を迫るべきではない。どこで働こうと、トイレ休憩などの小休止は、逐一の報告やログオフ・ログオンは求めず、まとまった時間の「中抜け」をする場合は、自己申告やPCのログの記録等で実労働時間管理をする、という方法で問題はない。
テレワークにみなし労働時間制を適用すべきとする考えの中には、労働者の虚偽申告の発生を防ごうとする意図があるのかもしれない。しかし、「勤務中」と申告している時間帯であれば、いつでも会社からの連絡はありうるわけで、オンタイムの虚偽申請という危険を冒す労働者は、そう多くはないと思われる。これに比べ、みなし労働時間制の導入による長時間不払い労働の合法化は、はるかに多くの問題を引き起こすことが容易に想定され、かつ、その場合の労働者の権利救済は非常に困難である。
また、研究会では、「育児・介護をしている労働者の在宅テレワークでは『中抜け』時間が長時間となることが多く、事業場で働く労働者の短時間の息抜き等とは質が違う」という意見もだされている。重要な指摘だが、この「中抜け」の質の違いへの対処として、みなし労働時間制をあてるのは、妥当性を欠く。育児・介護をしている労働者の働き方への配慮は、当事者のニーズに応じた措置をとることを、使用者に義務付ける規制手法・育児介護休業法によって対応されるべきであり、労働基準法の規制緩和の口実にするべきではない。
そのほか、研究会では、「業務量が過剰で長時間労働や深夜労働となってしまう場合は、当事者がみなし労働時間制への同意を撤回できるようにすればよい」との意見もでている。しかし、長時間労働の抑制を労働者任せにする発想は、労働基準法とは相いれない。労働者本人が過剰業務だと申し立てても、使用者は「定時で終了可能な業務量しか与えておらず、完了しないのは本人の能力・努力不足」と応じることが多い。裁量労働制の適用現場では、みなし労働時間より長時間の就労をしていても、評価に反映されることをおそれて労働者が実態を報告しないことが通常である。制度適用の同意撤回ともなれば、はるかに強い圧力がかかり、なかなか選択できないという労働者の心情を知るべきである。
そもそも、業務量の適正さを法制度で確定することは困難であるからこそ、労働基準法は労働時間で規制をかけている。研究会は、この基本認識に立ち戻り、全労働者に対する使用者の実労働時間管理の義務を課す方向で検討をすすめるべきである。
なお、把握すべき実労働時間は、7月の意見書でも述べた通り、労働安全衛生法66条の8 の3の 「 労働時間の状況」とは異なる。 「 労働時間の状況」の把握とは、 「 労働者がいかなる時間帯にどの程度の時間、労務を提供し得る状態にあったかを把握するもの」であり、その把握・記録の違反には罰則すらついていない。これに対し、労働基準法に規定すべき実労働時間管理義務は、「労働をしていた時間」の把握と記録・保存の義務を使用者に課し、違反には罰則を課すべきものである。
6.使用者による労働時間の把握・記録義務の徹底について
前項と関連するが、より根本的に、みなし労働時間制を全面的に廃止することを検討するよう、研究会に求める。研究会では、海外の事情に詳しい構成員からの情報提供が盛んになされており、「一律規制のカスタマイズであるデロゲーションは世界の流れ」などと強調されてきたが、他方、労働時間の記録義務の強化の流れについては、なぜか言及されていない。そうした姿勢は、今回の労働基準関係法制の見直し作業において、誤った方向性を与えているのではないか。
ほかにも、市場機能により企業の善導を期待するソフト・ロー路線も、世界では一時期流行ったものの、今やILOはじめ世界各国でその発想を反省し、やはり労働法令と労働行政による規制が必要との方向性へと転じていると聞く。労働法の専門家は、こうした情報も研究会に提供するべきではないか。
実労働時間管理の規制強化についていえば、2019 年 5 月 14 日の欧州司法裁判所の判決は、労働者の日々の労働時間を記録するよう使用者に義務付けることを加盟国に求めている1。判決は、 「 各労働者の1日の労働時間を記録するシステムがなければ、労働時間や残業時間を客観的に信頼性あるやり方で決定できず、労働者の権利、安全や健康を守ることができない。雇用関係において労働者は弱者であり、使用者が労働者の権利の制限を押し付けるのを予防する必要がある」との原則を改めて述べ、「そこで時間外労働だけでなく労働時間全体を記録することが、法定労働時間規制を定めたEU労働時間指令を履行し、労働者の権利を守るために必要」としているとのことである。至極もっともな判断である。
この判決を受け、ドイツ連邦労働裁判所も2022年9月13日判決でドイツ国内法について、テレワーク、モバイルワークなどを問わず、全ての労働者の全ての労働時間を記録する義務が生じたと指摘したそうである。具体的に労働時間をどのような形で記録すべきか、電子的手段によるかどうか、などは明示されていないが、考慮すべきポイントとして、①労働時間は正確に記録されなければならず、従業員がどこで、いつ働いているかは関係ない、②労働時間の記録はタイムレコーダー等のプログラムによって行うことができ、雇用主は従業員のためにシステムを導入することが義務付けられる、③前項のプログラムは、労働時間の記録のみに使用することができ、活動を監視することはできない(事業所組織法第87条第1項第6号)、④労働時間の記録義務違反に対しては罰金に処されうる、などとされているそうである。
ドイツにも、日本の裁量労働制に似た「信頼労働時間制度」2という働かせ方があるそうだが、上記の判決によって、使用者には実労働時間管理義務が迫られ、制度の抜本的な見直しは待ったなし、となっているそうである。
研究会では、時間外・休日労働時間の上限規制に関わって、過労死、過労自殺の問題にもしばしば言及があり、上限引き下げの方向性が語られている。しかし、それを有効たらしめる実労働時間の把握・記録の義務化にかかわっては特段の議論がなく、そればかりか、実労働時間管理から外れる、みなし労働時間制の新設にふみこもうとしているのは、労働組合としては理解しがたい。EU 諸国においても、テレワークを含む多様な働き方が増加しているが、それだからこそ、正確な労働時間の把握と記録が重要という考えを明確にしている。日本でも労働者の健康や生活を守るための当然の措置として、実労働時間の把握・記録義務を、罰則付きで使用者に課す規制強化を行うべきではないか。
1 「ドイツにおける労働時間改革の現状」労働政策研究・研修機構,2024年2月
https://www.jil.go.jp/foreign/labor_system/2024/02/germany.html
2 労働政策研究・研修機構の解説(出典は脚注2に同じ)によれば、信頼労働時間制度とは、「従業員が毎日の労働時間の状況、すなわち開始と終了を自己の責任において決定する。使用者は従業員に対して労働時間を指定しない。従業員が自己管理して労働日を自身で編成する」働き方とされている。ただし、労働時間規制(1日の最長労働時間、休憩時間、休息時間)は厳守されなければならない。
7.年次有給休暇の取得と賃金の関係性に関する意見について
年次有給休暇についての第11回研究会の議論のなかで、次のように聞こえる発言があった。「基本的に支払える賃金の上限は生産性によって規定される。年休が多ければ労働者はうれしいと感じるかもしれないが、年休をフルに取った場合に1年間に自分が生み出している価値から決まってくる自分の賃金の値は下がっていくことは理論上ありえる。現状で年休がフルに消化されていないとすると、その反面、働いている時間があるので、その労働の貢献度に見合った賃金が支払われていたものが、フルに年休を取得するようになったら、短期的には動かないとしても中長期的には賃金であったり、自分が受け取るものに跳ね返ってくるのではないか。果たして年休をどこまで確実にとるのが望ましいのか」というものである。
労働基準関係法制の「見直し」についての自由な議論だからといって、この発言は法の枠組みを踏み外しすぎているのではないか。年次有給休暇は100%取得されて当然であり、政府もそれを目指して取得率の向上を目標としている。そして労働基準法は「有給休暇を取得した労働者に対して、賃金の減額その他不利益な取り扱いをしないようにしなければならない」(第136条)と定めている。いかに経済学的な思考実験だとしても、有給休暇取得を理由とした賃金減額を正当化するような発言は、労働基準法の在り方を議論する場にふさわしくないのではないか。少なくとも事務局から、その旨、指摘をし、労働基準法への理解を強く促すべきではないか。
ただし、この発言は、見落とされていた課題に焦点をあてる契機にはなる。それは、現行の労働基準法では、年次有給休暇を与えないことや5日の付与義務をはたさないことといった第39条違反については、罰則付きで規制している一方、第136条の不利益取り扱いについては、「しないようにしなければならない」という曖昧な努力義務を課すだけで罰則がついていないという問題である ( この点については、構成員からも是正すべきとの指摘があった)。そのため、年休取得を妨害するための嫌がらせ(よくある手口は皆勤手当カット)が蔓延しており、それを容認する司法判断もでてしまっている。
今回の見直しにおいて、第 136 条を附則から本則へと移動して禁止規定に文言を変え、罰則をつけて不利益取り扱いをなくすべきである。
なお、労基法に関する議論とは別になるが、年休取得の上昇が賃金低下につながるという経済学的見地についても異論がある。日本の経済・企業経営に関する諸指標を2000年と2020年とで比べてみると、実質GDP (年)は9.6%、労働生産性 ( 製造業)は5.6%、経常利益は75.3%上昇し、内部留保は 2.5 倍に増やしている一方、給与支払い総額は0.33%しか増えておらず、実質賃金指数ではマイナスになっている3。企業がどれだけ利益をあげようが、労働生産性が上昇しようが、労働分配率は下げられているという現実は、上述された経済学の思考実験と現実との乖離を示すものである。こうした低すぎる労働条件の蔓延の背景にあるのは、労働者保護法制の機能不全と、労働組合の活力低下であることはいうまでもない。労働者の権利行使(本件でいえば有給休暇の100%取得)を妨げるような主張は、労働基準法の趣旨に悖るものとして退け、労働者保護法制
の規制強化と団結権の侵害の防止策を議論していただくよう、再度、強調したい。
3 労働運動総合研究所「新自由主義からの転換に相応しい賃上げを -低成長だから賃金を上げられないのか、 賃金を上げないから成長できないのか- 」2022年1月13日https://www.yuiyuidori.net/soken/ape/2022/220114_01.pdf
8.使用者が契約する専門家に「第三者的機能」を期待することについて
研究会では、デロゲーションの要となる、労働者過半数代表(過半数労働組合もしくは過半数代表者)への支援策として、教育研修・キャリア上の取扱・費用負担・外部専門家の支援などをあげている。概ね賛同するものであるが、このうち、外部専門家の支援について、社会保険労務士が例示されている点については、それが当該使用者が契約している社会保険労務士であるなら、労働組合としては反対せざるをえない。
社会保険労務士法第1条の2に「社会保険労務士は、常に品位を保持し、業務に関する法令及び実務に精通して、公正な立場で、誠実にその業務を行わなければならない」とあるのは承知しているが、残念ながら現実はそうなっていない。顧客である使用者に忠実で、労働者、とりわけ労働組合に対しては敵対的な役割をはたすことは珍しくない。特に特定社会保険労務士の資格が成立して以降、団体交渉においては使用者側に座る専門家として登場し、労働組合の要求や主張をはねのける役割を担う存在となっている。また、残念ながら、法令解釈に関して適正でない助言を行うことも珍しくない。例えば、労働基準法に不案内な使用者にかわり36協定の内容をアドバイスするばかりか、過半数代表者の選挙をせず管理職に押印・届出させた、就業規則の周知義務を果たしていないことを承知のまま放置したり、使用者と協議し賃金規定の改定手続きをとらずに、一方的に賃金体系を不利益変更し、それに対して労働組合が手続き規定違反を指摘しても、「労使双方に言い分がありまとまらないので暫定措置として賃金改定を実施した。違法とまではいえない」と強弁して使用者側の防波堤となるといった事例がある。
なかには、こうした交渉の場面で対立するにいたった労働組合と相似した名称を掲げた似非労働組合を、社会保険労務士らが結成し、「組合費ゼロ」を掲げて相談者をあつめ、相談料・解決金を稼ぐ営利行為を行っている事例もある。
端的に言って、事業主と契約している外部専門家が、当該事業にかかわる労使関係において、使用者に寄り添わずに第三者的にふるまうことを期待するのは無理であり、過半数代表への支援者からは外すべきである。さらに、厚生労働省の行う 「 社会保険労務士又は社会保険労務士法人の懲戒処分」をより積極的におこない、社会保険労務士法の規定を踏み外さないよう厳しく監督指導を行うことを求めるものである。
以上