【新春インタビュー】 被ばく80年 核のない世界実現へ(582号・全労連新聞2025年1月号)
無関心な人たち、どう目覚めさせるか
日本被団協のノーベル平和賞受賞は、原水爆禁止運動に取り組みともに核兵器廃絶の声をあげてきた労働組合にとっても、大きな喜びだ。昨年12月10日にノルウェーで行われた授賞式に参列した被団協の田中重光代表委員は、建交労の元組合員。核兵器のない世界をめざす68年の運動と核使用の危機が世界中で迫っているなかでの受賞の思いを建交労長崎県本部の内田知也さんが聞いた(インタビューは昨年11月30日に行いました)。

「ヒバクシャ」として歩み、核廃絶訴え
――核廃絶運動とのかかわりを教えてください
働き出したのがちょうど日米安保闘争のまっただなかで、全動労(全国鉄動力車労働組合)に所属していました。1987年の国鉄分割民営化に反対していた私達は、JR発足で採用差別をされ、組合員の25%しか採用されませんでした。その後1999年の建交労結成に合流しました。
59歳の時、脊柱管狭窄症発症をきっかけに退職、長崎に帰省し、被爆者運動を始めました。それまでは労働組合の中で核廃絶運動に参加していました。1985年に原水協が世界に被爆者を派遣することになり、全動労からの代表になりました。それをきっかけに、自分の住む地域に被爆者の会を作ったのが被爆者運動とのかかわりでした。
――ウクライナ、パレスチナ・ガザ地区でも核の威嚇がされています。核廃絶に向けどのような取り組みが必要でしょうか?
人類は「二度と戦争しない」と国連をつくった。そして第1回の決議案は、核兵器をなくそうという立派なものでした。しかし、戦争はいつも核保有国が「俺の言うことを聞け」と仕掛けてきたのです。常任理事国が拒否権を行使できることで合意に至らないことも多い、国連改革が必要だと考えています。
特に日本は不戦を誓った憲法を外交の軸にしていくべきだと思います。
「奪い合えば足りなくなる。分かち合えば余る」という宗教者の言葉があります。平和は壊すのも簡単だからこそ難しい。一人ひとりにとって平和や民主主義、人権がどうして大切なのかを伝えていく必要があるのです。

労働者の学校で
政治的に目覚めた
――低賃金・長時間労働当たり前になって、平和を考えるのも難しいと感じています
労働組合は、労働者の学校だと思うんですよ。
会社と話し合うためには、労働法を学び、労働者一人ひとりの要求をつかみ取らなくてはいけないから、組合員も役員も成長していった。自分たちにふさわしい役員を選挙で選ぶ民主主義の実践があったわけです。そのなかで政治的に目覚めていった。その影響は社会にも広がっていきました。
――最近「核保有が必要だ、現実を見ろ」と友人に言われました。さらに今は何でも早く単純であることが求められ、頭を抱えています
未来はあなたたちがつくっていくのだと伝えたい。誰もが幸せになる世界はどんな場所か、またどうしたら実現できるか夢を持ち、一歩ずつ活動してほしい。
よっぽど大きな力が働かない限り簡単に変化は起こせません。粘り強くやっていくことが必要です。
国民の支持がないと労働組合の運動も前進しない。
権力者は国民が政治的に目覚めることを最も恐れています。労働組合に求められているのは、無関心な人たちをどう目覚めさせるかということです。

「心の被爆者」として
経験の継承を
10年後には被爆者はいなくなってしまう。継承が課題だと考えています。長崎被災協では80人の被ばく証言を映像に残しています。
「心の被爆者」という言葉があります。核の被害は誰にも絶対に経験させてはいけません。だからこそ被爆者の体験を聞き、寄り添って、戦争も核兵器もない世界をめざして、運動を引き継いで欲しいです。

原水爆被害者団体協議会(日本被団協)
1956年8月結成。被爆者の全国組織。核兵器廃絶と原爆被害への国家補償要求を行ってきた。「核兵器のない世界」をめざし、国連軍縮特別総会や核不拡散条約(NPT)再検討会議などの国際会議に代表者を派遣し、被ばく体験を語ってきた。