2003年10月17日、ゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダ大統領が辞任し、カルロス・メサ・ヒスベルト副大統領が大統領に就任した。この「政変」は、それまでの1ヵ月におよぶアイマラ先住民の対政府抗議行動に始まりそれが全国に広がったもので、その過程で暴動が起きて70人が死亡、数百人が負傷した。
直接の引き金になったのは、ボリビアの膨大な天然ガスの一部を輸出するとの政府の計画発表であった。天然ガスを、イギリスを中心とした合弁事業パシフィックLNGに売る計画だが、それはボリビアからパイプラインをつうじてチリ、メキシコを経由して最後に米国の西海岸カリフォルニアに天然ガスを供給するというものだった。しかしこの計画は国民の批判を招いた。
そもそもボリビアが保持していた同国で唯一の海への出口を1879年にチリに押さえられたことがあり、それが国民的な屈辱となった歴史は今でも忘れられていない。学校では今日もなお、「奪われた海岸をとりもどさなければならない」と教えられているという。今回の計画の大きな問題は、カリフォルニアに天然ガスが売られることにたいして国民が憤ったことだった。
IMF(国際通貨基金)は、天然ガスを売ってカネにするのがよいと、ボリビアにすすめた。しかし、国民はこれまでの歴史的経験から、「結局は、大統領や閣僚の私腹を肥やすだけ」となることを知っていた。これまでも、公営企業が民営化されても、国民は「その恩恵を受けなかった」のだ。
ボリビアの政治腐敗は国内外でよく知られている。企業などの透明性を求めるTRANSPARENCY INTERNATIONALという国際的ネットワークによると、ボリビアはもっとも透明性の低い国だという。そのため、ボリビアの腐敗勢力が国際的な合弁会社などのコングロマリット(複合企業)にあえば、天然ガスにしろ何にしろ、安く買い叩かれ、取引の当事者だけが甘い汁を吸うことができる、国民大衆は「棄てられる」のが常であった。
今回の抗議は天然ガスが原因だったが、それが全国的な反政府行動に発展したのには、もうひとつ理由があった。ガス以前にも、社会的不平等、貧富の差が、国民の不満を暴動にまで発展させるほどひどかった。圧倒的に多くのボリビア国民は、生き延びるのがやっとで、ひとにぎりの金持ちエリートが特権を守り抜こうとして国を動かしている。
この天然がス輸出計画は、外国から押し付けられたものだったことから、「グローバル化」の名のもとに強行される搾取に反対するたたかいの一つとなった。
近年では、世界銀行とIMFにたいして南アメリカの実験用ネズミとして奉仕させられてきたという面がある。ボリビアの歴代政権は、過去15年にわたって公共部門の民営化、労働者の保護のための規制の緩和、政府の公共支出の抑制というIMFの処方箋をおしつられていたのである。
ボリビアのこうしたたたかいが世界の注目を集めたのは約3年前、コチャバンバ市で水道の民営化に反対するたたかいが起きたときである。ここでは、カリフォルニアの土木大企業ベクテル社(イラク戦争でも米国防総省の契約企業として儲けている)に40年契約でリースした。するとベクテル社は、水道料金をつり上げ、これに住民が激しい怒りをぶつけベクテル社を追い出した。同社はいま、ボリビアを相手取り、2,500万ドルの補償を要求する裁判を起こしている。
今回の大統領辞任にいたるまでには、労働者、国民のいくつかの重要なたたかいがあった。(岡田則男)
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